杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第24話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。
前回の記事はこちらです。
杓谷:前回のお話では、Overtureが「マネージメントフィー」を、Googleが「Agency Comission」を導入したことで広告代理店が「スポンサードサーチ」と「AdWords」を販売しやすくなりました。この動きが、後に加藤さんが会長を務めるOvertureの「推奨認定代理店協会」に発展していきました。Yahoo! JAPANをめぐるA/Bテストはいち早く代理店を巻き込む仕組みを整えたOvertureが一歩リードしているように見えます。
佐藤:次に「スポンサードサーチ」と「AdWords」の普及にとって大きかったのは最低入札価格の値下げでした。最低入札価格を引き下げたことで中小企業の参入が容易になり、広告主の数が飛躍的に増えていきました。
杉原:Googleが最低入札価格を下げたということを聞いてOvertureもすぐに値段を下げて追随しました。この値下げによって本当に様々な業種、規模の広告主が参加してくれましたね。
本社に何度も抵抗した最低入札価格の値下げ
佐藤:スポンサードサーチ、AdWordsは両方ともオークション形式の広告で、最低入札価格が設定されていました。「サーチワード広告」(第19話参照)など、検索結果の下に表示されるバナー広告ではクリック単価が50円を割れば割安と言う状況だったので、AdWordsはテキスト形式だし30円くらいならお得感もあって広告出稿が増えそうだということで30円で設定していました。これ以上最低入札価格を下げると売上が下がるのではないかという懸念がありました。
杉原:スポンサードサーチの最低入札価格は35円でした。同じキーワードへの入札が増えると入札競争が高まってどんどんクリック単価が上がっていくという感覚を当初は僕らも持っていなかったので、これ以上最低入札価格を下げると売り上げが下がるという印象は確かにありましたね。
| AdWords | スポンサードサーチ | |
|---|---|---|
| サービス開始当初の最低入札価格 | 30円 | 35円 |
| 値下げ後の最低入札価格 | 7円 | 9円 |
Google「「AdWords」とOverture「スポンサードサーチ」の最低入札価格
佐藤:2003年頃には米国ではすでに最低入札金額が7セントになっていました。本社では特にシェリル・サンドバーグ(第20話参照)が強硬派で、最低入札金額7セントで成功していたので1セントにしても良いのではないかという勢いでした。その結果、日本でも最低入札価格を下げなさいという指示がきていました。ただ、この時点ではなぜシェリルがここまで強硬に最低入札価格の値下げを指示するのか意図がよくわかっていませんでした。

2013年の世界経済フォーラムに登壇するシェリル・サンドバーグ
Sheryl Sandberg World Economic Forum 2013.jpg is under CC BY-SA 2.0
Googleは当時AdWordsと一緒に「プレミアムスポンサーシップ広告」(以下プレミアム広告。第19話参照)というインプレッション保証型の広告商品を並行して販売していました。プレミアム広告の単価は15円に設定していたので、AdWordsの最低入札価格を下げすぎるとプレミアム広告が値崩れしてしまう懸念がありました。また、価格を安くしすぎると質の悪い広告がたくさん増えて検索エンジン自体のブランド毀損になってもまずいと考え、日本支社ではみんなで反対して値下げをしませんでした。
日本のセールスチームからの強い要望で米国本社へ出張し、日本ではいかに30円が適切かをプレゼンしました。それなりに納得はしてもらってなんとか最低入札価格30円の維持を本国に一旦は認めてもらいました。しかし、その後もCEOのエリック・シュミットが日本を説得するために使者を何度も送り込んできたのですが、それでもノーと言って突き返しました。
それだけこの7円という最低入札価格の変更はインパクトがあり、議論が白熱した事案だったのです。

2005年に撮影されたGoogleのCEO(当時)エリック・シュミット
Eric E Schmidt, 2005 (looking left).jpg is under CC BY-SA 2.0
ただ、それから2ヶ月ほど経った頃に、ECモールなどのコスト効率にシビアな大手広告主が思ったほどAdWordsを利用していないことに気が付きました。また、プレミアム広告の常連の広告主は軒並みAdWordsも利用していたのですが、中小企業やベンチャー企業からの発注が少なく、裾野が広がっていないように感じてきました。
売上全体の伸びも落ち着き気味な傾向が見えてきたので、日本オフィス皆で話し合って、思い切って最低入札価格7円を導入することにしました。広告が表示されている検索語句に対しては30円、広告が表示されていない場合には7円にするということで落ち着きました。
この決断をしたところ、とあるインターネット広告専業代理店の社長から電話が掛かってきて、「来月の売上をどうしてくれるんですか!」とすごい剣幕で怒られてしまいました。Googleびいきの代理店だったこともあって、それなりに落ち込みましたね。当時は、最低入札価格を下げるイコール売り上げが下がるという意識が業界内にあったので、Overtureの広告営業担当者からは「Google最低入札金額を下げたんだって、大変だね(笑)」みたいに思われていたようです。
「カバレッジ」が思うように増えていかない
杉原:この数週間後にOvertureも追随して最低入札価格を下げました。Overtureのスポンサードサーチはどのキーワードも最低入札価格35円でスタートしていたのですが、検索ボリュームの大きい一部のキーワードに発注が集中してしまい、検索数の少ないキーワードがなかなか買ってもらえない時期が続きました。
下の図は、検索連動型広告の収益最大化のための方程式で、1回の検索あたりの売上を最大化するための要素を因数分解したものです。

1検索あたりの収益を最大化するための要素
この表で、一番下の「カバレッジ」(英語の「Coverage」)が変数の一つとして登場していますが、1検索あたりの収益を上げるには「カバレッジ」を増やしていくことが重要でした。すべての検索数に対して広告が表示された検索数の割合のことを「カバレッジ」と呼ぶのですが、この「カバレッジ」が思うように上がっていかなかったんです。
営業努力としてこれまでにも増して幅広いキーワードを提案して「カバレッジ」を増やそうと努力していたのですが、じわじわとしか上がらなくて「一体何年かかるんだろう?」と途方に暮れていた時にGoogleが最低入札価格を7円に下げたということを知りました。この値下げは「カバレッジ」を増やすために違いないとすぐにピンときて、Overtureでも最低入札価格を9円に下げることにしました。
ちなみに、先程の図の中の「デプス」(英語の「Depth」)は検索結果に表示される広告の数のことを指します。1つの検索語句に対して広告主がどれくらい入札していると自然な入札競争が起きてクリック単価が高くなってOvertureとしての収益が上がるのかというリサーチがあったたのですが、13社広告主が入札していると良いという結果が出ていました。そのため、同じ業種の広告主に同じキーワードを提案して「デプス」を増やすことにも注力していましたね。
最低入札価格の値下げが創出した広告のロングテール市場
佐藤:最低入札価格を下げてみると、それから1ヶ月も経たないうちに新規の広告主が急増してクリック単価もそれなりに上がり、前述の電話口で怒っていた代理店の社長から「最低入札金額を下げてもらったことで、むしろ売り上げ上がっちゃいました。全然問題ないです!」みたいなお礼の電話をいただきました(笑)。シェリル・サンドバーグやエリック・シュミットが執拗に最低入札価格を下げるように要求してきたのは、こうなることを米国市場ですでに経験していたからだったわけです。
最低入札価格を下げたことの一番の意義は、中小企業の参入が容易になり、いわゆるロングテール市場を創出したことだと思います。その結果、Amazon.comなどのビジネスモデルを説明したロングテールという概念が補強され、再注目されたように記憶しています。それまで、広告は大きな予算を組んで広告代理店を通さないと出稿することができませんでしたが、その常識をOvertureのスポンサードサーチとGoogleのAdWordsが覆しました。最終的に、OvertureもGoogleも最低入札価格を撤廃していくことになりました。

ロングテールキーワードの増加(図の黄色い部分)
杓谷:2003年3月のCNET Japanの記事に、AdWordsとスポンサードサーチの当時のおおよその広告主の数が言及されていました。
こちらが当時のAdWordsの広告主の数についてオーミッド・コーデスタニが言及している部分です。
――アドワーズが日本でも好評のようですね。現状について詳しく教えていただけますか。
Kordestani:全世界でのGoogleの広告主は今では10万を超えました。これでわれわれも成果ベースの広告においては大手になったといえるでしょう。日本でもアドワーズは思った以上に好評で現在数千の広告主を抱えており、広告主も広告代理店から中小企業や個人商店までバラエティに富んでいます。われわれの提供する広告モデルは結果がわかりやすいものです。結果の見えるものには経済状況が悪くても投資したくなるものですからね。
出典:CNET Japan「ネット広告にもグーグル革命」(2003年3月25日付け)
杓谷:こちらはOvertureのスポンサードサーチの広告主の数です。日本法人代表の鈴木茂人さんが回答しています。
――現在の広告主の数を教えていただけますか。
広告主は全世界で昨年12月末に8万となりました。日本では、今年1月末に1千を超えています。サービス開始2カ月でこの数字は期待以上でしたね。その後も広告主の数は順調に伸びていて、グローバルベースでは月に約2千社といったペースで伸びています。
出典:CNET Japan「グーグルと対決するオーバーチュア、日本での行方はいかに」(2003年4月8日付け)
杓谷:記事の内容をまとめると、AdWords、スポンサードサーチの広告主の数は下記の通りです。飛躍的に広告主が増加していった様子が見て取れますね。
| AdWords | スポンサードサーチ | |
|---|---|---|
| 全世界の広告主の数 | 10万社以上 | 8万社 |
| 日本の広告主の数 | 数千社 | 1000社以上 |
2003年のAdWordsとスポンサードサーチの広告主数
AdWordsで最初に広告枠がすべて埋まった検索語句は「はんこ」
佐藤:Infoseek時代のバナー広告の世界とはまったく違った景色が登場したという印象でした。AdWordsでは、最初に広告枠がすべて埋まった検索語句は「はんこ」でした。他にもトルコ絨毯のキリムなど、ニッチな商材を扱う中小企業の広告がどんどん増えていきました。
先程のCNET Japanの記事で、当時の僕が中小企業の成功事例について紹介しています。
――アドワーズの顧客で具体的な成功事例があれば教えてください。
佐藤:投資効果がしっかり出る広告なので、実際すばらしい成果が出たとの話はよく耳にしています。オンラインチケット販売会社での成功例をお話ししましょう。昨年11月中旬のPaul McCartney来日コンサートで、その会社は11月になってもチケットが売れ残っていたらしいのです。そこで「ポール・マッカートニー」と検索した人に向け、「来日コンサートチケットまだあります」という広告を打ったところ、あっという間に完売してしまったそうです。販売の80%以上がアドワーズ経由だったとのことですから、効果は大きいですよね。広告の費用も、売上げに対して1%程度で済んだそうです。
他にもカー用品の販売企業が特定の商品をキーワードにアドワーズ広告を掲載したところ、その商品の売上げが月間で2.5倍増加したケースや、トルコじゅうたんのキリムという商品を販売しているサイトで人が集まらずに苦労していたところ、アドワーズでトラフィックの増加と売上倍増につながったという話もあります。この例でもわかると思いますが、キリムのファンはいて、その商品を売っているところもあるのに、今までお互いが出会う場所がなかった。お金があれば企業も派手な宣伝ができますが、コストをかけずにいかに宣伝するかというところで皆悩むんです。アドワーズのようなものがあれば、「キリム」という言葉を検索している人に対して的確に宣伝ができます。自主的に検索している人は間違いなくその商品に興味がありますから、検索結果がいい出会いの場となります。ユーザー側もターゲットを絞って探しているので、アドワーズ広告が貴重な情報源となるわけです。
出典:CNET Japan「ネット広告にもグーグル革命」(2003年3月25日付け)
杉原:Overtureも、日本法人代表の鈴木茂人さんが2003年4月の記事で当時よく事例として話していた「屋形船」について紹介しています。
――いろんな業界の広告があるとのことですが、何か面白いケースはありましたか。
ネット業界とは全く関係のない業界からの広告は非常に新鮮ですね。異業種の場合、ウェブサイトを用意していても有効に活用できていないケースがあるものです。例えば屋形船業者の広告があるのですが、この企業ではスポンサードサーチに登録直後、まずアクセス数が200%アップしたそうです。また、昨年末に登録キーワードを「屋形船」だけでなく、「夜景」などといった直接屋形船とは関係がなさそうなものも追加したところ、忘年会シーズンでアクセス数が多い12月よりも1月のクリック数が上回ったとのことです。通常屋形船というとシーズンはやはり夏だそうなのですが、今では季節に関係なく新規のお客様が増えているとのことです。
出典:CNET Japan「グーグルと対決するオーバーチュア、日本での行方はいかに」(2003年4月8日付け)
杓谷:これまで、インターネット広告に興味があっても予算や技術が潤沢にない中小企業や個人にとっては広告を出稿する手段がありませんでした。少額から始められるAdWordsとスポンサードサーチが登場したことで、多くの中小企業が「待ってました!」とばかりに広告を始めていった様子が窺えますね。
「逸品.com」と一緒に全国行脚して中小企業の参入を促す
佐藤:こうしたビジネス的な背景の中で、僕は中小企業の広告主を増やすという方向に注力しました。当時、「逸品.com」という地方のビジネスを応援する人気サイトがありました。森本繁生さんというカリスマ的な方が運営されていて、地方のビジネスをインターネットで活性化させる取り組みを熱心に行っていました。
ウェブサイトの作り方などのセミナーを全国行脚で行っていたのですが、そのセミナーの最後に集客のセッションがありました。メルマガを作りましょう、とかSEOの対応をしましょう、というようなことに加えてAdWordsを紹介したいのでセミナーに登壇してほしいという依頼があり、僕も逸品.comのセミナーに参加して日本全国の地方に営業に行きましたね。講演が終わると質問責めにあったのですが、内容がSEOに関することだらけだったので参りましたが(笑)。AdWordsに対してもみなさんとても熱心で、こうした方々の強い味方としてそれまで無かった良い広告商品が提供できていることが分かり、とても嬉しい思いでした。

2002年4月頃の「逸品.com」
自由で開かれたインターネット広告がついに実現した
佐藤:中小企業の広告主が爆発的に増えていく様子を見て、これこそインターネットらしいビジネスモデルだなと思いました。第6話で紹介しましたが、僕が旭通信社時代に読んで強く影響を受けた伊藤穰一のコラムには、インターネットがもたらす社会変革として下記の2点が明言されていました。
1、情報発信が誰でもできるようになり、個人がエンパワーメントされる
2、すべての中間業者がなくなり利権が破壊される
この発言から僕が想像していた、自由で開かれたインターネット広告(第11話参照)がAdWordsでついに実現したと思いましたね。
杓谷:第1話で触れたように、これまで広告業界は広告主が倒産などで万が一広告費を払えなくなる事態を防ぐため、あらかじめ大手広告代理店が広告枠の大部分を買い取ってから広告主に仲介するというビジネスモデルで発展してきました(第1話参照)。ただし、その反動として大手広告代理店の様々な事情で思うように広告が買えないというケースがあったことを第7話、第8話で紹介しました。
大手広告代理店は、キャッシュフロー上のリスクを引き受けているため、必然的にまとまった広告宣伝費を捻出できる大企業を中心に向き合っていくことになりましたが、それは外から見ると広告を大手広告代理店と大企業が寡占しているようにも見えたと思います。その構図は、既存の広告業界の構図をそのままインターネットに持ち込んだ1990年代のインターネット広告でも同様でした。(第11話参照)
そこに風穴を空けたのがAdWordsとスポンサードサーチです。特に、AdWordsはセルフサーブ方式で、大企業も中小企業も関係ありません。また、広告を買い付けるために広告代理店やメディアレップなどの中間業者を介することもありません。伊藤穰一の予言が広告業界において見事に現実のものになりました。
こうして振り返ってみると、最低入札価格の値下げによって創出されたこの広告のロングテール市場は、インターネット広告だけの話にとどまらず、広告そのものが民主化された瞬間だったと言えるかもしれません。
そして、いよいよYahoo! JAPANにどちらが多く収益をもたらすかというスポンサードサーチとAdWordsのA/Bテストが決着する時期を迎えます。
第25話に続きます。