杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第37話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。
前回の記事はこちらです。
杓谷:前回のお話では、YouTube広告のサービスの立ち上げの様子を高広伯彦さんと平山幸介さんからお聞きしました。当時のYouTubeは海賊版サイトのような状態だったなか、東芝が最初のスポンサーとなり、テレビでもYouTubeでも最初にスポンサーになったのは東芝という歴史が刻まれました。
佐藤:2008年4月、Google日本法人は初めての広告営業職における新卒採用をスタートしました。初年度の2008年新卒採用の一人として杓谷さんも入社し、僕の強い希望でサンフランシスコで行われた北米の広告営業チームの社内カンファレンスに彼らを連れて行くことにしました。
Googleは解放の旗手なのか、それとも超監視社会の統治者なのか
杓谷:2007年1月、Googleの検索ボックスの下に表示された「人材募集」のリンクに2008年新卒採用のリンクがあることに気が付き、文系でも応募できる広告営業職の募集があることを発見し、居ても立ってもいられずすぐに応募をしました。当時のGoogleは理系の人しか採用しないと思っていたので、自分にもGoogleに入れるチャンスがあると知ったのはとても嬉しかったですね。

Googleの検索ボックスの下に表示された「人材募集」のリンク
私は学生時代にベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』という本を読んで、グーテンベルクの活版印刷が国民国家の形成に大きな影響を与えたことを知り、そこから現在を考察すると、インターネットが今の国民国家という形を希薄化してEUのようなより広範囲な枠組みに広がっていくのではないかと予想をしていました。
そして、ベストセラーにもなった梅田望夫さんの『ウェブ進化論』や、当時発売されていた本の中で最もGoogleについて詳しく語られていたジョン・バッテルの『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』や『Google誕生 —ガレージで生まれたサーチ・モンスター』を読み、これからの時代の中心になるのはGoogleに間違いないと確信しました。広告を原資に便利なサービスを次々と無料で発表していくGoogleは人々の生活をより豊かに自由にしていく解放の象徴のように思えました。
『想像の共同体』
『ウェブ進化論』
『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』
『Google誕生 —ガレージで生まれたサーチ・モンスター』
一方で、ミシェル・フーコーというフランスの哲学者の『監獄の誕生ー監視と処罰』という著書に書かれていた「監視の目の内在化」のエピソードも印象に残っていました。簡単に言うと、テストのカンニングを防ぐには、見張り役の先生が前に立っていると生徒が先生の目を盗んでカンニングできる隙が生まれますが、後ろに立っていると先生が今どの位置にいるか生徒はわからないので、見つかることを恐れて結果的にカンニングしなくなります。このような心理的な仕組みを、イギリスで実際に作られた円形の監獄「パノプティコン」の形状から説明していたのがこの本でした。つまり、インターネットは超監視社会につながる可能性があるとも考えられていて、Googleがそうした存在になりかねないとも懸念されていました。
『監獄の誕生<新装版> : 監視と処罰』
佐藤さんと面接をすることになり、面接でこの2点について話をしたのですが、佐藤さんはすぐに「フーコーだね」とお気づきになられたことが印象に残っています。こうした思想を当たり前のように知っている人が広告部門を統括していらっしゃるということに深く感動しました。他の企業の面接でも同じような話をしたのですが、佐藤さんのように回答してくださる方はいませんでした。
また、当時の日本法人のオフィスの会議室の名前は「桐壺」「匂宮」など源氏物語の巻名にちなんでつけられていて、Googleは理系の最高峰のタレントが揃う会社なのに、文系の学問にも造詣が深い会社なのかと驚いた記憶があります。
佐藤さんとの出会い
杓谷:2008年4月、私は佐藤さん率いる大手広告主チームにアカウントマネージャーとして入社しました。入社してすぐ、佐藤さんと新卒入社組がお話させていただく機会があったのですが、当時よくテレビで見かけたIT起業家達のカジュアルな装いと対照的に、佐藤さんはいつもビシッとスーツを着こなしていたのがとても印象的でした。

2008年新卒組の内定式後のパーティーに出席する当時の佐藤さん(中央。筆者所蔵)
佐藤さんのお話をお聞きしている中で、ふと佐藤さんがYahoo! のことを英語式に「ヤフー」の「ヤ」にアクセントをつけて発音をされていることに気が付きました。私を含めた当時の一般的な学生は、Yahoo!のことを「ヤフー」の「フー」にアクセントをつけて日本語式に発音していました。きっと佐藤さんはYahoo!が日本に来る前からYahoo!のことを知っているから英語式の発音なんだな、とお話を聞きながら一人で勝手に感銘を受けていました。
当時の私からすると佐藤さんは雲の上の存在だったこともあって、「一般の人がYahoo!やGoogleを知るはるか昔からその価値に気がついて第一線にいる佐藤さんとは一体何者なのだろう?」と鮮烈な印象が残りました。今にして思えばこの時の出来事がこの連載をはじめるきっかけのひとつでした。
TCP/IPの発明者ヴィントン・サーフの日本国際賞受賞
杓谷:私は佐藤さんを目の前にしていつも過度に緊張していたのですが、それは上司と部下という関係の他にもうひとつ理由がありました。
私がGoogleに入社して間もない2008年4月23日、当時Google本社で副社長兼チーフ・インターネット・エバンジェリストを務めていたTCP/IPの通信プロトコルの発明者ヴィントン・サーフ博士が日本国際賞を受賞しました。この授賞式と晩餐会には天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)もご臨席されたのですが、佐藤さんもGoogle日本法人の代表の一人としてご出席されていたからです。社内でこの授賞式のことはあまり周知されていなかったので、私はこのニュースのことを新聞で知り、「そんなすごい人と毎日一緒に仕事をしてるのか」と大変驚きました。

TCP/IPの発明者ヴィントン・サーフ博士
出典:Vint Cerf – 2010.jpg is under CC BY 3.0

日本国際賞授賞式でおことばを述べられる天皇陛下(現上皇陛下)
出典:宮内庁ホームページ「ご臨席(2008年(第24回)日本国際賞授賞式)(国立劇場(千代田区))」(https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/photo1/photo-200804-980.html)
佐藤:この授賞式は、デジタルガレージ、Infoseekで一緒に働いていた(第6話参照)伊藤穰一からも連絡を受けて知った様な気がします。彼はヴィントン・サーフ博士と旧知の仲でした。博士がTCP/IPを発明したのはこの時期よりもだいぶ前のことではありますが、この受賞は彼が当時Googleの副社長兼チーフ・インターネット・エバンジェリストを務めていたこともあり、Googleが日本社会に認められた瞬間でもあると言えるかもしれません。
同年10月、英国でもエリザベス女王がロンドンのGoogleオフィスを訪問しました。この連載にも度々登場しているオーミッド・コーデスタニが、女王陛下とフィリップ王配を案内しました。君主制のイギリスにおいて、女王陛下の訪問はとても大きな意味を持ちます。この訪問によって、米国の新興企業にすぎなかったGoogleが英国、そして欧州に認められたのだと思います。

The Queen visits Google London
入社2日目で知恵熱がでたGoogleの開発スピードの速さ
佐藤:この前年の2007年に、第22話から第26話にかけてお話したYahoo! JAPANを巡るGoogleとOvertureのA/Bテストで、Overture側の様子を語っていただいたアタラ株式会社代表の杉原剛さんがGoogleに転職しています。Overtureの日本法人がYahoo! JAPANに吸収されるタイミングで直接僕から声をかけてGoogleに誘いました。
杉原:佐藤さんとお話した後、2007年にOvertureからGoogleに転職しました。入社してすぐにGoogleの開発スピードの速さを目の当たりにして驚愕しました。
杉原:第26話で、Overtureのスポンサードサーチに「部分一致」の機能を導入したり、Google AdWordsの「品質スコア」(現「広告の品質」)と同様の機構を取り入れた「Panama」の開発に苦戦した様子をお話しましたが、とあるシステムのバージョンアップに失敗して管理画面に2週間アクセスができなくなってしまう大事件が起こりました。さらに恐ろしいことにその間も広告は出続けているわけです。これは補填だけで会社が潰れてしまうかもしれないほどの大事件でした。奇跡的に補填を免れることはできたのですが、それだけOvertureの技術は混迷していました。
Googleに転職してすぐに、本社側と行われるAdWordsのプロダクトアップデートミーティングに出てくれと言われたので出席したのですが、A4の紙にまとめられた今後の機能追加が予定されている開発ロードマップを見て、「これOvertureの5年分なんだけど…」と絶句しました。思わず佐藤さんに「Googleはこんなに開発スピードが速いんですか? ついていけないです」と言ってしまいました(苦笑)。入社2日目で知恵熱が出てしまいましたね。それだけOvertureとGoogleの開発スピードには大きな差があったんです。「これはOvertureが機能面で遅れを取るわけだな」と妙に納得しました。
佐藤:杉原さんには2008年新卒のトレーニングプログラムを作ることもお願いしました。新卒を受け入れるのは初めてのことだったので、新卒用の研修プログラムもなかったんです。
杓谷:当時の私はこの連載で見てきたような出来事をまったく知らなかったのですが、杉原さんをはじめ、インターネット広告の発展を牽引してきた当事者の皆様から直接学ばせていただくことができたのは、本当に贅沢な環境でした。
北米のセールスカンファレンスで発表されたOvertureの異変
佐藤:2008年6月、北米の営業チームが集まる社内カンファレンスがサンフランシスコで行われることになり、僕の希望で日本の営業チームも参加させてもらうことにしました。僕はGoogleの本社に頻繁に出張していたので、Googleがどんどん成長していく姿を目の当たりにしていたのですが、僕以外の日本にいるメンバーにその様子が思うように伝わっていないと感じることが多々あったからです。
入社して間もない2008年の新卒組を北米のセールスカンファレンスに連れていくかどうかについては社内で議論があったのですが、僕の強い希望で彼らも一緒に連れていくことに決めました。仕事を覚えることも大事ですが、彼らにGoogleの本社の雰囲気やカルチャーを直接見て感じてもらわないことには何も始まらないだろうという強い想いがあったからです。
杓谷:私は学生時代にニューヨークに一年間住んでいて、車でアメリカ横断旅行をしたこともあったので米国の色んな州の様子を見ていたのですが、当時のサンフランシスコは他のどの州にもない特別な雰囲気を感じました。言ってしまえばただの社内向けイベントなのですが、サンフランシスコの一等地にあるユニオンスクエアを借り切ってパーティー会場を設営していましたし、近くのモスコーンコンベンションセンターではAppleの「WWDC’08」が開催中で、日本のメディアには伝わっていないシリコンバレーのダイナミズムを肌で感じることができました。今も私がGoogle関連の仕事を続けているのはこの時の体験が鮮烈だったからだと思います。その後の人生を決定づける出張の機会を佐藤さんにいただいたことに深く感謝しています。

サンフランシスコの一等地にあるユニオンスクエアを借り切って設営されたパーティー会場の様子(筆者所蔵)

カンファレンスで登壇するGoogle創業者のラリー・ペイジ(左)、サーゲイ・ブリン(左から二番目)、北米の営業を統括していたティム・アームストロング(右から二番目)(筆者所蔵)

Google本社のホワイトボードに書かれたアイデアの種(筆者所蔵)
このカンファレンスの最終日に、オーミッド・コーデスタニから米Yahoo!の検索連動型広告のシステムにGoogle AdWordsが採用されることが決まったことが発表され、カンファレンス会場が大いに沸いたことがとても印象に残っています。

出典:Google プレスリリース「Google Announces Non-Exclusive Advertising Services Agreement with Yahoo! in U.S. and Canada」(米国時間2008年6月12日付け)
参考:日経クロステック(xTECH)「Yahoo!がGoogleのオンライン広告を採用へ,非排他的提携で合意」(2008年6月13日付け)
会場の祝賀ムードにつられて拍手をしつつも、私自身は「いったいどういうこと? Overtureはどうなるの? Yahoo! JAPANへの影響は?」とたくさんの疑問が浮かんでいました。日本でYahoo! JAPANとOvertureは圧倒的に強く、当時のGoogle日本法人の社内はYahoo! JAPANに追いつけ追い越せという雰囲気だったからです。この時の様子を、本連載に度々ご登場いただいている、Overture日本法人の代表を務めたご経験のある株式会社SUIM代表の上野正博さんにお聞きしました。
上野:私は2006年にOvertureの日本法人の代表を退任していたのでこの時の詳しい事情を把握してはいないのですが、2007年から2008年頃は米Yahoo!の経営が傾き始めていた頃でした。
上野:なので、どこかのタイミングで検索エンジンとOvertureの検索連動型広告のシステムの開発をもう継続しないという判断があったのだと思います。代替案としてはMicrosoftと組むかGoogleと組むしかなかったのだと思います。実際、Microsoftは米Yahoo!そのものの買収にも乗り出していました。

出典:Internet Watch「米MSが米Yahoo!の買収提案で会見。Googleへの対抗力を強化」(2008年2月1日付け)
この提携発表のわずか5ヶ月後の2008年11月にGoogleは米Yahoo!との提携解消を発表しています。米国消費者協会(American Consumer Institute)が独占禁止法に抵触する可能性があると指摘していたことや、全米広告主協会(ANA:Association of National Advertisers)が提携に対する異議申し立てを行っていたことが影響していたと言われています。

Googleの米Yahoo!との提携解消のアナウンス
出典:Google Official Blog「Ending our agreement with Yahoo!」(2008年11月5日付け)
参考:日経クロステック(xTECH)「GoogleとYahoo!が検索広告事業の提携を解消,当局の懸念を払しょくできず」(2008年11月6日付け)
上野:結果的に米Yahoo!は2009年7月にMicrosoftの「Bing」を採用することを決定しました。しかし、この時点で「Bing」には日本語版はなかったと思います。こうした事情で、Yahoo! JAPANとしては米Yahoo!と同様に「Bing」を採用することができず、Googleを選ぶ以外に他に選択肢がなかったのだと思います。2010年7月にYahoo! JAPANは検索エンジンおよび検索連動型広告のシステムにGoogleを採用することを発表しました。

出典:Internet Watch「総合的に判断して、Googleが利用者に一番良いと結論」ヤフー井上社長」(2010年7月27日付け)
佐藤:Yahoo! JAPANの検索エンジンおよび検索連動型広告のシステムはGoogleになりましたが、サービス自体はYahoo! JAPANが提供し、管理画面もGoogle AdWordsとは別、アルゴリズムも独自のものを加えるということで、日本の公正取引委員会からも問題ないという判断になりました。結果的に、この発表が2002年から約8年におよぶOvertureとGoogleの熾烈な争いに終止符を打つ形になりました。
第38話に続きます。