杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第11話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。
前回の記事はこちらです。
杓谷:1996年、インターネット広告を専門に取り扱う「メディアレップ」、株式会社サイバー・コミュニケーションズ(以下CCI)とデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社(以下DAC)が設立され、本格的にインターネット広告市場が誕生しましたね。
佐藤:僕は1996年10月に旭通信社からデジタルガレージに転職しました。デジタルガレージは、DAC陣営の主要メディア「Infoseek Japan」を運営していて、広告ビジネスを含む事業全般の責任者を務めることになりました。本格的に営業が始まったのは1997年に入ってからのことでした。
デジタルガレージに入社して
佐藤:デジタルガレージに入社すると、第6話で紹介した「富ヶ谷」のウェブサイトを開発していたエコシス出身のジョナサン・ハガン(以下ジョナ)というインペリアル・カレッジ・ロンドン物理学部を卒業したバイリンガルの天才エンジニアが在籍していました。日本語は漫画で学んだと言ってましたね。
ジョナは夕方に会社に来るのですが、みんなが定時に帰っていくと電気を落として音楽をガンガンかけて、モニターの光だけで夜中に仕事をしていました。次の日の朝に僕が出社すると、ジョナは漫画を敷き詰めたところに寝ていて、むくって起きて「あれをやっといたよ。」と言って帰っていく、みたいな働き方をしていて衝撃を受けました。下の画像は1997年9月号の『月刊サンワールド』のデジタルガレージ特集記事です。Infoseekはサン・マイクロシステムズの「Ultra Enterprise 3000」というサーバーを使用していた関係での取材でした。左の男性がジョナで、右下に写っているのが僕ですね。

1997年9月号の『月刊サンワールド』に掲載されたデジタルガレージの特集記事(佐藤さん所蔵)
アナログで煩雑だったバナー広告の出稿管理
佐藤:Infoseek Japanのバナー広告はメディアレップのDACが広告主に販売してくれるので、Infoseek Japanの仕事はバナー広告を発注通り事故なく配信できるように管理していくことが重要でした。
第10話で話したとおり、広告主に保証した表示回数を達成できなかったり、期間内に広告が予定通り配信できないとペナルティが発生するので、人の手によるチェックを何度もして入稿作業自体もマニュアルで行うなど、とてもアナログで煩雑な仕事でした。
その月の目標売上に届かないとわかると、バッジみたいな小さな四角いバナーの広告枠を3個ぐらい設置して、それを1週間20万円とか30万円で売ったりしていました。僕の席の後ろのボードに、日付と「トップページ」「バッジ1」「バッジ2」「バッジ3」と書かれた表が置いてあって、どんな広告主が申し込みをしているかをアナログな方法で可視化していました。1週間前になっても広告の注文がない枠には「しょうがない、ディスカウントだ!」と言ってとにかく広告枠を埋めようとしていましたね。
こんなに管理がアナログで煩雑なので、「アメリカ本社のバナー広告の管理はどうやってるんだろう? きっとシステム化しているに違いない。教えてもらおう!」ということでアメリカのInfoseek本社に出張しました。広告の配信管理を担当していたバートさんにバナー広告の管理をどうやっているか訊ねたところ、おもむろに自分のデスクのキャビネットを開けて、そこに入っている広告のオーダーシートを取り出しました。日付ごとに「この広告は何日から始まりです」といったメモがびっしりと記入してあるだけで、日本とまったく同じアナログな管理方法だったので思わず口をあんぐり開けてしまいましたね(笑)。
二重のコミッション構造が生まれてしまった
佐藤:デジタルガレージへの入社前は、インターネットが普及した状態での広告のビジネスモデルは、自分が旭通信社で見てきたものとはまったく違う形態になるだろうと漠然と想像していました。第6話で少し触れましたが「インターネット上で行われるビジネスは、中間業者を排して民主化され、『利権の破壊』をもたらす」という伊藤穰一の言葉が頭の中で鳴り響いていたからです。
そこから色々と妄想していくと、インターネット広告の世界はこれまでのように大手総合代理店が広告枠を買い切って広告主に仲介するといった形ではなくなるだろうと考えていました。もっと自由で開かれた広告のビジネスモデルが見えてくるんじゃないかと強く期待をしてデジタルガレージに入社したんです。
でも、いざ蓋を開けてみるとメディアレップの仕事はテレビや新聞、雑誌と同じように、Yahoo! JAPANやInfoseek Japanのバナー広告をあらかじめ買いきって広告主に仲介するいわゆる伝統的な「コミッション制」のビジネスモデルでした。
杓谷:「コミッション制」とは、広告枠をあらかじめ仕入れて広告主に仲介する形式のビジネスモデルのことを指します。下の図が広告枠の買付けにおける広告業界の基本構造です。

広告枠の買い付けにおける広告業界の基本構造
出典:インターネットマガジン1996年11月号―INTERNET magazine No.22をもとに筆者作成
杓谷:第1話で佐藤さんにご解説いただきましたが、広告主が倒産したり、万が一の事態が発生した時に保障できるだけの経済基盤がある広告代理店に、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などの主要マスメディアの広告枠の取引口座は限定されていたわけですね。第7話で登場した外資系大手広告代理店の日本支社や、第8話の加藤さんの日広のような新興広告代理店では直接買えない広告枠があったところをこの連載を通じて見てきました。
佐藤:加えて、大手総合代理店とメディアレップによる二重コミッション構造も生まれてしまいました。僕のようなメディアの立場から見ると、メディアレップのコミッション料(広告枠の仲介手数料)が15%、広告代理店のコミッション料が15%で合計30%が広告の販売価格から引き落とされてしまいます。また、広告主の立場からしても、総合代理店にコミッション料を支払い、その上でさらにメディアレップにもコミッション料を支払う必要が生じてしまったわけです。
杓谷:下の図の赤い枠を通るたびに、関所のようにそれぞれ15%ずつ仲介手数料が取られてしまうわけですね。

二重のコミッション構造
出典:インターネットマガジン1996年11月号―INTERNET magazine No.22をもとに筆者作成
佐藤:メディアレップからすると、広告枠を販売するための人件費などを捻出しなくてはいけません。仕方がないと言えば仕方がないことでしたが、デジタルガレージに入社する前に思い描いてた理想と現実のギャップが大きくて愕然としてしまいました。
今振り返ると笑ってしまうのですが、Infoseek Japanの媒体説明をしに大手総合広告代理店に営業に行ったのですが、前半は伊藤穰一がインターネット自体の説明をしていて「インターネットは『利権の破壊』をもたらす」と説明しています。それが、後半でいざビジネスモデルの話になると二重のコミッション構造の説明をしていて、むしろ利権が強化されてしまっているんですね。前半と後半で話がまったく矛盾していましたね(笑)。
とはいえ、この時期のことを冷静に考えれば、メディアレップがなければ広告代理店にはネット広告がわかる人たちは多くなかったので、媒体側としてはかなり大がかりな営業活動を個別に行わなければならなかったでしょうし、電通系と博報堂/旭通信社その他系という形で集約された形でインターネット広告専門の受け皿ができたことは、媒体社にとってもありがたくインターネット広告市場を開拓する上では欠かせない存在ではありました。
NTTグループの「goo」と米DoubleClickの日本法人設立
佐藤:この時期に重要な出来事として、NTTグループと米DoubleClickの話にふれておきたいと思います。NTTは、米Inktomiの検索エンジンと、NTT研究所の日本語解析技術をミックスしたロボット型検索エンジンの開発をしていて、1997年3月に「goo」というポータルサイトをスタートしました。
同年9月には米DoubleClickの日本法人としてダブルクリック株式会社(以下ダブルクリックジャパン)が設立されます。DoubleClickは、DEC(Digital Equipment Corporation)が開発していた「AltaVista」というアメリカの検索エンジン兼ポータルサイトの広告出稿を管理するツールとしてスタートしました。そのツールの使い勝手がとても良かったので、ツールだけを切り出して「AltaVista」以外のポータルサイトにも提供し、アメリカで広く使われるようになりました。後にGoogleがこのDoubleClickを買収することになります。DoubleClickが保有していた技術等については、この連載の中で後ほど紹介したいと思います。

サービス公開前にメディアに公開された「goo」のイメージ画像
出典:INTERNET Watch「NTTアドが日本語検索エンジンサービス「goo」を3月27日より開始」
加藤:クリックジャパンの筆頭株主はトランスコスモスでしたが、NTTグループも資本参加をしていました。そのため、ダブルクリックジャパンはgooの広告枠を販売するメディアレップとしての役割もあったんです。
加藤:CCI、DACからもgooの広告枠は買えたのですが、彼らにはYahoo! JAPANやInfoseek Japanなど優先的に販売したいメディアがあったので、より積極的にgooの広告枠を販売するためにメディアレップを作る必要があったのだと思います。
ダブルクリックジャパンの営業が本格的に始まった頃、第9話で紹介した日本で最初にインターネット広告が関わったサービス「ハイパーネット」が1997年12月2日に破産申請をしています。僕はハイパーネットが広告の販売を開始した頃から広告枠の買い付けを通して副社長の夏野剛さんと面識がありました。破綻のニュースを聞いて「夏野さんはどうしたんだろう?」と思っていたら風の噂で「NTTドコモにいるみたい」と聞きました。ドコモで「iモード」の準備をしていたんですね。この事実を知ったのは1999年になってからで、当初は転職の目的は極秘で動いておられました。
杓谷:テレビやラジオなど、公共の電波を使った「放送」の枠組みから「通信」の世界に情報の流通チャネルが広がったことで、NTTグループの存在感が広告業界においてもじわじわと増してきましたね。
第12話に続きます。