杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第7話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。
前回の記事はこちらです。
杓谷:いよいよ日本でもインターネットの商用利用が解禁されましたが、この頃は「富ヶ谷」などウェブサイトが数えるほどしかなかったんですね。インターネット”広告”が登場するにはもう少し時間が必要ですね。
佐藤:伊藤穰一、デジタルガレージとの出会いがあり、インターネットへの興味がますます強くなっていきました。その一方で、コンペに負けて旭通信社のApple担当チームが解散したことで、1995年から国際二部という部署に異動することになりました。
Appleのコンペに負けてチームが解散し、国際二部に異動
佐藤:国際二部には、外資系広告代理店の日本国内におけるメディアのプランニングのサポートと買い付けのサポートをする部署がありました。提携先の外資系広告代理店に「DDB」(DDB Worldwide Communications Group LLC)という会社があって、外資系自動車メーカーを中心に取り扱っているグローバルでも有名な広告代理店でした。
当時、旭通信社と提携していた「BBDO」という会社の場合は、国際二部の中に営業やメディアプランニングを行うチームがあったのですが、DDBは「DDB Japan」という日本法人が別にあって、そこに営業やプランナーもいるという立て付けでした。
左:DDBのロゴ。正式名称はDDB Worldwide Communications Group LLC。DDBは創業者のNed Doyle氏、Mac Dane氏、Bill Bernbach氏それぞれの名前から。出典:DDB logo.svg is is licensed under PDM 1.0
右:BBDO社のロゴ。名前の由来は創業者のBatten氏、Barton氏、Durstine氏、Osborn氏の名前から。出典:BBDO Logo.jpg is licensed under PDM 1.0
佐藤:DDBは、欧米の自動車メーカーを中心にグローバルクライアントをいくつも抱えていましたが、DDB社単体では日本国内のテレビや新聞、ラジオなどのメディアを買い付けるための口座が持てないわけです。広告主からの広告出稿費用等は全部DDBに支払われるのですが、いざ日本のメディアに広告を出稿しようとすると、日本の主要メディアと取引できる口座を持っている日本の広告代理店に依頼せざるをえないわけです。
杓谷:第1話でご解説いただいた通り、広告枠、特にテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのマスメディアの広告枠は、保証会社的な機能を持つことができる日本の大手総合代理店に取引口座が限定されていたので、外資系の大手広告代理店と言えど日本で取引口座を持つことができなかったわけですね。
佐藤:こういった事情で、DDBは業界用語で言うところの「まわし」という、いわゆるバイイングエージェンシー(テレビ等の広告枠の買い付けを行う広告代理店)を決める必要がありました。僕が配属された部署は、このバイイングエージェンシーの役割を担う部署だったわけです。言ってしまえばDDBから「このメディアを買ってください」という発注を受けて買い付けるだけの作業なわけですが、どのメディアのどの場所に広告を掲載するかを計画するメディアプランニングなどはやらないので、コミッション(広告枠の仲介手数料)は広告費の僅か数%という低価格しか取ることができず、当たり前ではあるのですが、利益率の低い部署と認識されることが一般的でした。
僕が配属された当時は、メインの担当者とアシスタントの方の二人のチームだったのですが、メインの担当者は外資系の広告代理店のメディアプランナーを経験した人がやっていました。やっぱりメディアプランナーの経験がないと発注元の外資系広告代理店と対等に話ができないので、そういうスキルを持った人がバイイングをやっていたんですが、なにせ主な仕事は一人でやっていたものだから大変で、お客さんもたくさん来てしまって手が足りない状態でした。人を増やしてくれということで結果的に僕が行くことになったわけですが、国内のメディアの買い付けに関しては全然何にもわかりません。すみません、コンピューターなら得意です、といった状態でしたので、向こうからしたら「使えねえやつが来たな」と思われたと思います(苦笑)。
雑誌の販売部数がピークだった1995年に経験した雑誌広告
佐藤:僕がやる仕事っていうのは、外資系の広告代理店からいただいたオーダーを受けて、社内の雑誌部に、「6月号の『MORE』の広告枠を取ってください、取れません、満稿(広告枠がすべて売り切れている状態のこと)です。」といったやりとりをすることが中心です。当時の『MORE』ってとても分厚くて、要するにいつも満稿でした。それを無理やり頼み込んで広告を入れてもらったりしていました。
1995年6月の『MORE』の表紙(筆者所蔵)
外資系ならではの人ベースの精緻なメディアプランニング
佐藤:国際二部に配属されて、外資系広告代理店のメディアプランナーは相当頭を使ってメディアプランニングをしているんだな、と感心しました。テレビCMの場合、ビデオリサーチ提供の世帯視聴率のGRP(ジー・アール・ピー)が取引通貨のようになっているので、通常はメディアプランニングも世帯視聴率が中心になります。
杓谷:GRPは、「Gross Rating Point」の略で、視聴率5%の番組に15秒CMを1本流した場合、5GRPといったように計算します。延べ視聴率とも言いますね。
佐藤:僕が担当していた外資系企業のクライアントの場合は、個人ターゲットを重視していたので、調査会社ニールセンの個人視聴率データを使ってプランニングをしていました。ところが広告枠の買付けになるとビデオリサーチのGRPでの取引となるので、個人から世帯へのデータの変換が必要で、それに時間も労力もかかっていました。
しかも、どれだけ精緻にプランニングをしたとしても、参照しているデータは直近1週間や昨年同時期のデータなので、当たり前ですが実際どのくらいの視聴率が取れるのかは広告が放送されてみないと分かりませんでした。一部のお取引先外資系企業は、実際の視聴率とメディアプラン段階における視聴率が大きく乖離している場合は「補填だ!」という話になっていたので、テレビCMの放送が開始すると皆さんピリピリしていたのを記憶しています。
「決定」したけど「収容」できない!? メディアバイイングの難しさ
佐藤:ある時、とある人気番組の広告枠を数千万円の規模で発注をかけたのですが、メディアの買い付け担当者から「ご依頼いただいた広告枠が無事『決定』しました。」という報告を受けました。無事に発注できたと思って安堵していたところ、数日後に同じ担当者から「例のご依頼いただいた広告枠が『収容』できませんでした。」という連絡が来て、広告枠が買えないということが判明しました。「なんだその『決定』と『収容』の違いは!」と愕然としました。
人気の広告枠になると、他の広告代理店や広告主からもたくさんの発注が来ていて、様々な貸し借り関係などの大人の事情がたくさん存在して、最初の発注で決定が出たにもかかわらず希望通りに買えないことが時折発生することがあります。
広告代理店のメディアバイイング担当というのはここからが腕の見せ所で、こういった事態が発生すると、テレビ局に行って直接交渉に行きます。今回はこの枠をキャンセルすることは広告主を説得して何とかするから、この案件では何がなんでも広告を出稿したいので絶対に枠を押さえさせてくれ、などといったようにあらゆる貸し借り関係を駆使して、交渉していくわけです。この経験を通じて外資系のメディアプランニングの精緻さと、買おうとしてもプラン通り買えない場合もあるというメディアバイイングの大変さを学びました。ここでの経験は、後にインターネット広告を販売する上でもとても参考になりました。自分で希望して配属されたわけではない部署だったのですが、今にして思えば貴重な経験をさせてもらいましたね。
国際二部での経験が、後のインターネット広告に活かされた
佐藤:テレビCMを販売促進的に使う広告主は、テレビCMの放送に合わせてあらかじめ店頭の棚を確保したりするわけです。そうすると、テレビCMの配信量に応じてどれくらい売上が発生するかをある程度予測することができます。
このやり方は、どこのウェブサイトのどの広告枠に広告を配信してランディングページに誘導すればこのくらいコンバージョン数が増えます、というインターネット広告の考え方と通じるものがあると言えるかもしれません。
また、後に勤めることになったInfoseekやGoogleでは、キーワードに連動した広告枠を販売していました。「自動車保険」「転職」などある特定の人気キーワードへの発注が集中しました。今のようにオークション形式ではなく、人の手で出稿の管理をしていたので、この国際二部でのメディアバイイング経験が活かされたかもしれません。しかしながら、インターネット広告においてはキーワードの数はとてつもなく膨大になるので、人の手による管理は早々に破綻していくことになります。このあたりのことは、後に詳しく触れたいと思います。