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インターネット広告創世記

第49話:インフルエンサーマーケティングの登場で曖昧になり始める広告とコンテンツの境界

杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第49話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。

前回の記事はこちらです。

杓谷:前回のお話では、TwitterとFacebookの台頭によってYouTubeへの流入経路が変わり、YouTubeの広告のあり方が変化したことを紹介しました。また、Twitterが始めた「ネット取引」によって1990年代〜2000年代を通じて続いてきた商習慣に変化が出てきたことを紹介しました。

佐藤:YouTubeの「好きなことで生きていく」CMキャンペーンをきっかけに「YouTuber」が認知されはじめ「インフルエンサー」が登場しました。日本でいち早くインフルエンサーマーケティングに取り組んでいたTHECOO株式会社の平良真人さんと下川弘樹さんにお話を聞くと良いと思います。

平良:はじめまして、ご紹介にあずかりましたTHECOO株式会社のCEOを務める平良真人と申します。SONY、Googleを経て、2014年にTHECOOを創業しました。

Googleに転職するきっかけとなった全番組録画機器の登場

平良:私が在籍していた頃のSONYは出井伸之さんがインターネットを活用したビジネスモデルを一生懸命啓蒙している時期でした。私はSONYのインターネットプロバイダーサービス「So-net」の海外展開をするチームに所属していて、台湾や香港向けの仕事をしていました。そこで、eコマースなどのインターネットサービスを経験し、収益化の手段のひとつとしてインターネット広告に関心を持つようになりました。

当時はパソコンで地上波7チャンネルの全番組を同時に録画できる全番組録画機器が登場しはじめた頃でした。ユーザーはテレビCMをスキップして録画するので、そのスキップした枠にユーザーの視聴履歴に応じてパーソナライズした広告をSONYで出せたら大きなビジネスになるのではと夢想していました。

本格的に広告業界のことを勉強してみると、このアイデアが無理だということはすぐにわかったのですが、なんとなくこの時のアイデアが頭の中に残っていて、もしこのアイデアが実現できるとしたらGoogleしかないと思い、2007年にGoogleに転職しました。

Googleでは最初はビジネスデベロプメントの仕事をしていました。検索エンジンのパートナー企業や、AdSenseのパートナー企業との契約の締結や更新などが仕事で、インターネット広告とは直接の関わりはない仕事でしたが、頭のどこかでは先程のアイデアを実現したいという思いがあり、当時Googleのトップページをパーソナライズすることができる「iGoogle」というサービスがあって、この中で実現できないか、と考えたりしていました。

iGoogle

出典:Internet Watch「『iGoogle』がアーティストとコラボ、リリー・フランキーらがデザイン」(2008年3月13日付け)

その後、AdWordsの中小企業向けの営業チームに異動して下川弘樹さんと出会い、2013年に一緒にGoogleを退職して、THECOO株式会社の前身となるルビー・マーケティング株式会社を創業しました。

下川:はじめまして、THECOO株式会社で取締役を務めております下川弘樹と申します。現在は経営企画などの部門を管掌しておりますが、創業当初は主に広告運用も含めたデジタルマーケティング部門を管掌していました。私は1979年生まれなのですが、大学生になった頃にインターネットが普及し始めて、インターネットに関わる仕事をしたいなと思い、新卒でNTTに就職しました。

インフラからコンテンツの世界に働く場所を移したいと思ってGoogleに転職

下川:学生の頃、最初は普通の電話回線でインターネットに接続していたのが、ADSL、光回線に進化してあっという間に10倍くらいの速度でインターネットが利用できるようになって、それまでテレビで見ていたニュースをインターネットで見るようになっている自分に気が付き、インターネットを支える通信インフラに興味を持つようになりました。

大学卒業後にNTTに就職をしてインターネット回線を販売する仕事をしていたのですが、こうしたインフラの仕事ってある意味で縁の下の仕事なんですよね。ふと気がつくと、私達が築いた高速道路の上でたくさんのサービスが登場していて、自分もそちら側で仕事をしてみたいと思うようになりました。当時ベストセラーになっていた『ウェブ進化論』を読んでGoogleの本質を知り、技術力の高さに惹かれ、2008年にGoogleに転職しました。
Googleでは最初はAdWordsの中小企業向けの営業チームに配属され、主に広告の審査を担当しました。Googleの広告の審査は本当に「Don’t be evil」(Googleの社是の1つ。第31話参照)なんだなと感動しましたね。当時のGoogleの審査ポリシーは一般的な社会通念よりも厳しく、審査ポリシーにそぐわない広告は売上に影響があろうとなかろうとダメなものはダメと厳しく落としていました。

その後、AdWordsのカスタマーサポートを担当しつつ中小企業向けの営業も行い、広告代理店向けの営業も経験しました。そこで平良さんと出会い、起業をお誘いいただき、一緒に働くことになったという経緯です。

「海外の『YouTuber』を使って欲しい」と依頼されて

平良:2014年の夏頃のことだったと思います。とあるゲーム関連のお客様から「海外の『YouTuber』を使ってほしい」と言われました。僕はこの時点で「YouTuber」という言葉を知りませんでした。それまで、Googleの社内ではYouTuberのことを「クリエイター」または「オンラインクリエイター」と呼んでいたので、心の中で「YouTuberって何?」って思いました。YouTubeの「好きなことで生きていく」キャンペーンが2014年年末で、その時期よりも前の出来事だったので、Googleにいた私でさえも「YouTuber」という言葉を知らなかったんです。

「好きなことで、生きていく」キャンペーンで使用されたHIKAKINさんの動画(第48話再掲)

好きなことで、生きていく – HIKAKIN – YouTube [ Long ver. ]

僕はその時は知ったかぶりして「YouTubeの『TrueView広告』をやればいいんだな」と思っていたのですが、会社に帰ってから改めて調べてみるとまったく違いました。恥ずかしながら私はYouTubeではミュージックビデオぐらいしかあまり見てこなかったので、「ああ、あのメントスをコーラに入れた動画をあげている人達のことを海外ではYouTuberと呼ぶんだな」とそこで初めて気が付きました。

そこで、Google時代の同僚に海外で人気のゲーム実況系YouTuberを紹介してもらい、タイアップ広告をお願いしにロサンゼルスに出張し、お客様のゲームアプリを紹介してもらいました。アプリのインストールを増やすことが目的だったのですが、他の通常の広告チャネルよりも1インストールあたりのコストが安く、結果的にキャンペーンは大成功したんです。

インフルエンサーをキャスティングするプラットフォームを模索

平良:この成功を受けて、僕はビジネスの仕組みを考えるのが好きなので、どうにかしてスケールさせることはできないかと考えました。同時に、Googleが参入したらあっという間にそちらが本流になってしまうので、このビジネスに将来的にGoogleは参入してくるだろうかということも考えました。

この仕事は広告主のビジネスに合致するYouTuberを探し、動画の企画を考え、表現をコントロールする必要があるので実現までにとても手のかかる仕事です。こうした労働集約的な仕事にGoogle自身としては参入してこないだろうと思いました。

また、私は2007年頃に地上波やケーブルテレビなどのテレビ広告枠をオンライン広告のようにオークション形式で販売・管理する「AdSense for TV」というプロジェクトに携わった経験があったのですが、テレビ番組とクリエイティブの親和性がうまく噛み合わず、実用化には至りませんでした。当時のGoogleは人間の感性に関わる領域は得意でなないという印象がありました。

こうした経験から、GoogleはYouTuberを活用したインフルエンサーマーケティングにはしばらく参入してこないだろうと考え、「iCON CAST」のサービスをスタートしました。

出典:THECOO株式会社ホームページ「インフルエンサーマーケティング支援ツール」

「iCON Suite」のサービス開始

下川:iCON CASTは広告主とYouTuberのマッチングビジネスなので、まずはインフルエンサーに参加をしてもらう必要がありました。ちょうどその頃、HIKAKINやはじめしゃちょーなど、多くのトップYouTuberが所属するマネジメント会社の「UUUM」が設立されたこともあり、業界が盛り上がっていて、数多くの有名なインフルエンサーに参加してもらうことができました。

次に、インフルエンサーの準備が整ったので広告主向けの営業を開始しました。各YouTuberから承認をもらって、APIで各YouTuberの動画の視聴者数やエンゲージメント率などのデータを取得し、広告主がYouTuberをキャスティングしやすいようなデータを整備して、広告主への営業を本格的に始め、多くの広告主に使っていただけるサービスになりました。

当初の目論見では、広告主とYouTuberが直接コミュニケーションをとって自動的に受発注が進んでいくことを想定していたのですが、コンセプト自体が新しかったせいか、私達が間に立って仲介していく必要が出てきました。ビジネスという観点で言うと労働集約的にはなってしまうのですが、それでもインフルエンサーマーケティング市場の成長率はインターネット広告市場の成長率よりも圧倒的に高かったので、ビジネスとしても大きく成長していきました。

こうしたインフルエンサーマーケティングに特化したプラットフォームは日本では私達が初めてだったと思いますが、海外ではFameBitというプラットフォームが先行していて、2016年にGoogleが買収をしています。

腹落ちしたインフルエンサーマーケティングの実力

平良:Facebook(現Meta)が買収したInstagramが月間のMAU(Monthly Active Userの略で月間のアクティブユーザー数)でFacebookを上回り、「インスタ映え」という言葉が流行り始めた2017年頃末に『VINYL MUSEUM(ビニール・ミュージアム)』というイベントを表参道で開催しました。チケットを購入すると写真撮影用のフォトスポットに入場できて映える写真が撮影できるというイベントでした。

『VINYL MUSEUM(ビニール・ミュージアム)』の様子(THECOO株式会社提供)

そもそもおじさんって映える写真を撮影しませんよね? それまで「iCON CAST」でインフルエンサーマーケティングのサービスを提供しつつも、ひとりのユーザーとしてインフルエンサーの価値を実感する機会はほとんどありませんでした。

自分でイベントを開催しておきながら「このフォトスポットで本当に映えるかな?」と半信半疑なところもあったのですが、プレオープンの日に若いインフルエンサーを呼んで実際に撮影をしてもらって感想を聞いたところ、「これは映えます!」とポジティブな返事が返ってきました。そして、このプレオープンの日に撮影してもらったインフルエンサーの投稿をきっかけにチケットがあっと言う間に完売してしまいました。

自分の感性との違いにすごくショックを受けたりもしたのですが、この時にひとりのユーザーとしてもインフルエンサーマーケティングの力を腹落ちして理解することができました。ふと気がついてみると、いつのまにか自分もレストランを探す時にInstagramの投稿を見たりしています。広告はスキップするけど投稿を見てしまうんですよね。商品やサービスがクリエイティブの良し悪しでこんなにも変わるのかと驚きましたね。

インフルエンサーマーケティングの潜在的な力はもっとある

下川:現在、インフルエンサーマーケティングは企業のマーケティングチャネルのひとつとして十分に認知されたと思うのですが、まだまだそのポテンシャルは活かしきれていないと感じます。その理由のひとつに計測の問題があると考えています。

YouTubeの動画やInstagramの投稿には計測用のタグを埋め込むことができないので、動画や投稿を見たユーザーがどの程度売上に貢献したかを可視化することが難しいんです。実際のビジネスへの貢献度合いとしては、オンラインの売上にもオフラインの売上にも貢献していることを肌感覚として日々感じているのですが、データがきれいにつながらないので、データがきれいにつながる通常の広告プラットフォームに比べて大きな金額の投資に踏み切りづらいというジレンマがあると思います。ここが解決するとまた違った展開に広がっていく可能性があると思っています。

現在はインフルエンサーの数もジャンルもとても増えたので、ニッチな商材を扱う広告主にもフィットするインフルエンサーがかなり増えてきています。「iCON Suite」では30万件以上のインフルエンサーデータを収録していますし、インフルエンサーマーケティングはこれからさらに発展していくのではないかと考えています。

広告とコンテンツの境界が曖昧になり始めた

佐藤:これまで、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などの広告はもちろんのこと、Google広告やMeta広告などのインターネット広告でも基本的には広告とコンテンツは別のものという考え方で発展してきました。インフルエンサーマーケティングの登場によって、少しずつ広告とコンテンツの境界が曖昧になってきたことは、インターネット広告の歴史の中でひとつのターニングポイントであったと思います。

第50話に続きます。

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杓谷 匠

株式会社杓谷技術研究所 代表取締役。2008年に営業職の新卒一期生としてグーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。以降、広告主、代理店、広告プラットフォームなど様々な立場で15年以上Google広告の営業、運用、コンサルティング業務に携わる。2019年にGoogleからの紹介を受け、Google Marketing Platform の大手リセラーとして知られる英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画した後、2023年より現職。『いちばんやさしい"はじめての"Google広告の教本』の著者の一人。

  1. 第54話(最終話):AIという前例なき時代に必要なのは「教育」ではなく「学び」である

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  3. 第52話:2021年インターネット広告費がマスコミ四媒体(テレビ・新聞・雑誌・ラジオ)の広告費を追い抜く

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