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インターネット広告創世記

第35話:「Google Video」から「YouTube」へ – YouTubeが登場した頃の動画広告の風景

杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第35話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。

前回の記事はこちらです。

杓谷:前回のお話では、iPhoneとAndroidの登場によってスマートフォンが発売されましたが、スマートフォンに対応したウェブサイトやアプリもまだなく、日本で広まるかどうかは未知数だったことをお話しました。モバイルという文脈では携帯電話の広告市場も大きく、「iモード」「EZweb」「Yahoo! ケータイ」で展開された検索連動型広告の様子を振り返りました。

佐藤:スマートフォンが本格的に普及し始めるのは2010〜2012年頃のことでしたが、発売から普及までの間にYouTube広告のサービス開始、プログラマティック広告の登場、Facebook、Twitterの運用型広告のサービス開始などが同時多発的に起こりました。まずは時系列的に一番早いYouTube広告のサービス開始の様子からお話したいと思います。

YouTube買収前のGoogleの動画サービス「Google Video」

佐藤:YouTubeを買収する前のGoogleには、「Google Video」という動画検索サービスがありました。今のGoogleの検索結果の「動画」タブで見られるものとほぼ同じですが、有料無料問わず様々なウェブサイトを横断して動画を検索することができるサービスでした。サービス開始当初は純粋な動画検索サービスだったのですが、著作権がクリアな動画に限り動画をアップロードすることができるようになり、今の「Google Play」や「Amazon Prime Video」のように、映画やドラマをレンタル販売したり購入できたりする機能を拡充していく予定でした。

出典:Internet Watch「『Google Video』で、Webブラウザから動画の投稿が可能に」(2006年5月18日付け)

Google Videoでこのような取り組みを進めている中で2005〜2006年頃にYouTubeが登場しました。当時はYouTubeに上がっている動画のほとんどが著作権違反で、いわゆる海賊版の動画だったのですが、ある日、大手総合代理店の方に呼ばれて赤坂で会食をする機会がありました。

「YouTubeは著作権違反の海賊版の動画ばかりで野放しにしてはよくない。我々とGoogleで手を組んで、Google Videoを全面的に活用してYouTubeに対抗しましょう」

と持ちかけられ、先方も僕らも意気投合して「やりましょう!」と合意したのですが、その直後にGoogleによるYouTubeの買収が発表(第31話参照)され、その話は立ち消えになってしまいました(苦笑)。

グランプリを受賞した『日産自動車提供 WebCINEMA TRUNK』

佐藤:YouTubeを買収してからは、GoogleはYouTubeを動画サービスの核としたわけですが、当然広告によってマネタイズをしていくことになります。そこで僕は、高広伯彦さんにYouTubeの広告事業を任せることにしました。
彼は僕から声をかけて、YouTubeの買収が発表された2006年10月の前年の、2005年12月に広告営業企画チームのシニアマネジャーとしてGoogleに入社してもらっていました。Googleの広告がそれまでの広告業界にとって掟破り過ぎたことと、まだ知名度も低かったので、広告業界全体への正しい理解と普及啓蒙が必要な時期でした。そこで、業界で知名度、影響力のある高広さんに声をかけたというわけです。当時、彼のブログ「mediologic」が広告業界の中でとても有名で、インターネット広告業界の関係者はみんな読んでいましたね。

杓谷:今さら私がご紹介するまでもないかもしれませんが、高広さんは博報堂、電通、Googleの3社を渡り歩き、現在の広告業界の全体像を見渡すことができるとても稀有な存在です。株式会社スケダチ(現・マーケティングエンジン株式会社)でマーケティングにまつわる事業を展開しながら、同志社大学ビジネススクールの教授も務めておられます。
佐藤:高広さんは、2004年の5月に行われたインターネット広告推進協議会(JIAA)主催の「第2回東京インタラクティブ・アド・アワード」を受賞していて僕もその授賞式に出席していました。彼は、『日産自動車提供 WebCINEMA TRUNK』という映画を日産自動車のウェブサイトで公開し、グランプリを受賞しました。監督はカンヌ国際映画祭での受賞歴もある青山真治監督で、とてもウェブ向けに作られたとは思えないほどの高品質な作品でした。この時の印象がとても強くて、YouTube広告の立ち上げを任せるのであれば彼しかいないと思い、社内で声をかけたところ快く引き受けてくれました。

出典:Internet Watch「第2回東京インタラクティブ・アド・アワード、日産のWebシネマがグランプリ」(2004年5月27日付け)

出典:YouTube 「WebCINEMA TRUNK (2003) 第一話」

出典:note「ブランデッドエンタテイメントはどのように作ればいいのか?に頭を使った33歳の頃〜WebCINEMA TRUNK (2003) の話(追記あり)」

高広:はじめまして、高広伯彦と申します。1996年に博報堂に入社して広告業界でのキャリアをスタートし、2004年に電通に転職、ちょうど電通を辞めてコミュニケーションデザインの会社でも作って独立しようというタイミングに、佐藤さんと当時先にGoogleに勤めていた友人から声がかかり、2005年12月に広告営業企画チームのシニアマネジャーとしてGoogleに入社しました。

博報堂、電通を経てGoogleでYouTube広告の立ち上げを担当することに

高広:僕は大学2年から修士2年頃まで京阪神エルマガジン社という会社でずっと出版のアルバイトをしていました。実は、大学の4年生になるまで電通や博報堂などの大手総合広告代理店の存在を知らなかったのですが、そのアルバイトでたまたま電通の方と知り合い、出版だけでなく色々なメディアを扱える広告業界って面白いなと思ったのが広告業界に就職するきっかけでした。

大学4年生だった1993年頃のことだと思うのですが、大阪の電通にはニューメディア室という部署があって、そこに所属されていた方がこんなことを言っていたのを今でも覚えています。「高広くんさ、この電通っていう会社はさぁ、でかい船なわけや。でかい船やから急に曲がろうと思ってもなかなか曲がれへんねん。ところが、最近はもう周辺に小さい船がたくさん出てきてて、小さい船はすぐに舵切れるからすぐ右に曲がれんねん。近い将来、みんなが右に曲がってるけど俺らだけなかなか右に曲がられへん、みたいな感じが絶対来るから」

当時はBSやCS放送のことを指して言っていたと思うのですが、広告業界は今まさにそのような事態になっていますよね。

話をYouTubeに戻すと、YouTubeの広告を担当することが決まってからすぐに、当時MSNでリッチメディア広告を担当していて業界内で有名だった「動画の平山を採用しましょう」と佐藤さんにお願いしました。連絡をした翌日には返事が来て、彼と一緒にYouTubeの広告サービスを日本で立ち上げることになりました。

平山:はじめまして、現在EventRegist(イベントレジスト)のCEOを務めております平山幸介と申します。2007年9月にMSNから転職してGoogleに入社したわけですが、MSNの前に僕はYahoo! JAPANに在籍していたことがあって、Yahoo!ショッピングでテレビショッピングをやりたいと考えていました。

インターネットでテレビショッピングを実現したい

平山:確か2000年、2001年頃のことだったと思うのですが、TV通販会社をパートナーにして動画番組を始めたんです。当時Yahoo! JAPANの中でも動画はまだ本格的に取り組んでいなかったのですが、結局その時に一番力を借りたのがMicrosoftだったんです。

当時は今のようにブラウザで動画を視聴する環境がなかったので、インターネット上で動画を見ると言ったら「Windows Media Player」を立ち上げることになるわけですが、当時はまだナローバンドなんで動画の画面が小さくて。2センチ平方くらいの小さな画面でテレビと同じ動画を流して、Yahoo! ショッピングで買えるようなリンクを出したりしていたんです。あまりにも見られなくて1年ぐらいで終わりましたけれども(苦笑)

この経験がきっかけになって、僕は今度は動画の広告の領域をやりたいと思うようになりました。当時はアニメーションや動画などの広告表現の豊かな広告のことを「リッチメディア広告」と呼んでいたのですが、業界全体でこの領域をやろうとしている人がまだあまりいなくて、Yahoo! ショッピング時代の経験から、やるなら技術インフラ面を考えてもMicrosoftしかないよね、ということでMSNに移籍したんです。

移籍してから、米国のワシントン州レドモンドにあるMicrosoft本社に出張する機会があったのですが、MSNの事業部長クラスの方の執務室のドアに、GoogleにMicrosoftが買収提案をして断られた時のレターが貼ってありました。Googleからのお断りの文言がとても丁寧な表現だったので、「すげー丁寧に断られてるな」と思って印象に残りました(笑)。Microsoftが検索エンジンに本格的に取り組み始めたのはそこからだったと思います。当時Microsoftは自前の検索エンジンを持っていなかったので。前社長のスティーブ・バルマーの時代に大きく投資をしてBingを開発したのだと思います。

MSNの本社の方では動画広告を配信できる「Eyeblaster」(アイブラスター)などと組み始めていました。「Eyeblaster」はFlashベースだったんですが、その前に実は「アイワンダー」という動画広告サービスがあって、それはJavaベースでした。インターネット広告で少し表現力の豊かなクリエイティブを出す夜明けみたいな時代が2000年代中頃から始まっていたんです。「リッチメディア」と言っても当時は100KBのバナーのことを「リッチメディア」と呼んでいたので。今では考えられませんよね(笑)。

2007年10月頃の「Eyeblaster」(アイブラスター)ウェブサイトの製品紹介ページ

出典:Internet Archive

杓谷:今のGoogle広告の画像アセットの上限容量が5.12MBなので、100KBは今の基準だととても「リッチ」とは呼べないですが、それでもナローバンド時代には十分「リッチ」だったんですね。第10話で角さんが、初期のYahoo! JAPANのバナー広告「パイロットシート」の画像ファイルの上限容量が12KBだったとお話されているので、確かに100KBはその約8.3倍で、かなり「リッチ」ですね。

Flashのお話で思い出しましたが、たしかにYouTubeが登場する前はFlashのアニメをよく見ました。動画はブラウザではなく「Windows Media Player」や「QuickTime Player」などのデスクトップアプリを使う必要があったので、ブラウザで手軽に動画的なコンテンツを見ようとするとFlashアニメだった記憶があります。グループ魂の『中村屋』のFlashアニメが流行っていたことを覚えています。Flashも、iPhoneがサポートしないことが決まってから目にする機会が減っていきましたね。スマートフォンによる変化の1つと言えるかもしれません。

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高広:インターネット黎明期の動画サービスという観点から言うと、AOLが提供していた「AOL TV」は、YouTubeや今のスマートTVにつながるようなサービスだったと思います。テレビの見ている画面の1つ手前のレイヤーに透明なレイヤーを載せて、AOLの情報を見ながらテレビを視聴できたり、離れた友人とチャットできる機能を提供していました。

AOL TV Set-top Box Setup Video

この他にも、「SMS meets TV」というサービスがあって、深夜帯の放送する番組がない時間帯に延々と掲示板を映すんです。その掲示板には電話番号が書いてあって、その電話番号にショートメッセージを送るとそのテキストメッセージがテレビに表示されるというサービスです。ビジネスモデルも特徴的で、テレビCMで収益をあげるのではなくて、テキストを掲示板に載せる時にユーザーに課金するわけですが、その課金で得た収益をテレビ局と電話会社と掲示板運営会社で分け合うんですよ。
平山:時代やタイミングさえ合っていれば普及したビジネスモデルは結構あって、出たり消えたりを繰り返してますよね。

ある意味で自然な流れだったYouTubeの登場

平山:MSN時代に僕は映画会社やテレビ局などのコンテンツプロバイダーと組んで、今で言うNetflixのようなサービスを志向して仕事をしてきたのですが、これまでインターネットのサービスで大きく成功してきたのは、コンテンツを特定の1社が作って提供するようなサービスではなく、あくまで場だけを用意して、あとは勝手にユーザーがコンテンツを作るいわゆるプラットフォーム的なサービスでした。

YouTubeを一目見た時に2chの動画版のような印象を受けて、このサービスはこれまでのインターネットサービスの成功の法則に則っていて、大きく成長するだろうことを強く感じました。今まで動画でそういうサービスはなかったんです。なので、高広さんからGoogleとYouTubeへのお誘いがあった時に2秒で転職を決めました(笑)。

高広:たぶん、今の人が思ってるほどには僕らはYouTubeに衝撃を受けていないんですよね、きっと。時代の流れとしてスムーズに来た、という感覚を持っていたと思います。

佐藤:1990年代からインターネットで大きなトラフィックが集まる場所は検索かコミュニティでした。それがブログになり、SNSになりと発展してきた中で、ブロードバンドの時代になって動画にも及んだ、と考えるとある意味では自然な流れだったかもしれません。

杓谷:次回のお話ではいよいよYouTubeの広告サービス立ち上げの頃のエピソードをご紹介したいと思います。

第36話に続きます。

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杓谷 匠

株式会社杓谷技術研究所 代表取締役。2008年に営業職の新卒一期生としてグーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。以降、広告主、代理店、広告プラットフォームなど様々な立場で15年以上Google広告の営業、運用、コンサルティング業務に携わる。2019年にGoogleからの紹介を受け、Google Marketing Platform の大手リセラーとして知られる英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画した後、2023年より現職。『いちばんやさしい"はじめての"Google広告の教本』の著者の一人。

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