TAG LIST
インターネット広告創世記

第34話:ドコモの「iモード」とauの「EZweb」で表示されたガラケー時代の検索連動型広告

杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第34話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。

前回の記事はこちらです。

杓谷:前回のお話では、2007年1月にスティーブ・ジョブズがiPhoneを発表し、今我々が日々利用しているスマートフォンが初めて世に登場しました。また、同年4月にGoogleがDoubleClickの買収を発表しました。第4部スマートフォン編ではこの2つの出来事を軸にインターネット広告の歴史を振り返りたいと思います。

佐藤:日本でiPhoneが発売されたのは2008年7月で、ソフトバンクから発売された「iPhone 3G」が最初でした。翌年の2009年7月に日本で最初のAndroidスマートフォンHTC製の「HT-03A」がドコモから発売されました。ただし、スマートフォンやDoubleClickの影響が本格的に現れるのはもう少し後のことになりますので、2007年、2008年頃の携帯電話向けの広告の様子をお話するところから第4部をスタートしたいと思います。

日本で最初に発売されたiPhone「iPhone 3G」

出典:ケータイWatch「ケータイ新製品SHOW CASE」(2008年7月16日付け)

HTC製「HT-03A」

出典:ケータイWatch「国内初のAndroid OS搭載モデル『HT-03A』」(2009年5月19日付け)

Appleが産み落とした双子のデバイス「iPhone」と「Android」

佐藤:第26話でも少し触れましたが、Googleは上場した2004年の翌年にあたる2005年5月に「Android」を買収しました。「Android」の創業者はアンディ・ルービンで、「Android」の名前はアンディ・ルービンの”アンディ”に因んでいると言われています。彼は元々「General Magic」という会社に在籍していました。

2008年「 Google Developer Day in Japan」に登壇するアンディ・ルービン

出典:2008 Google Developer Day in Japan – Andy Rubin.jpg is under CC BY-SA 2.0

「General Magic」は、初代Macintoshの基礎を作り、「Hyper Card」の開発者としても知られるビル・アトキンソンらが中心となって1992年に設立されたAppleの子会社です。ソニーやNTT、富士通などの日本企業も出資をしていて、この時期にすでにスマートフォンの原型となるデバイスを開発していた会社でした。2018年には映画にもなりましたね。

GENERAL MAGIC – Official Trailer

参考:TECHNOEDGE「初代Macintoshの基礎を作り、HyperCardを生み出したビル・アトキンソンの功績を振り返る(CloseBox)」

また、General Magicにはアンディ・ルービンだけでなく、「iPod」の発案者で「iPhone」の開発におけるキーパーソンとなったトニー・ファデルも在籍していました。Appleを長く見てきた立場からすると、Appleから追い出される前のスティーブ・ジョブズが思い描いていたコンピュータが「iPhone」だったのではないかと感じます。自分の子供達を見ていても、親がなんにも教えていないのにiPadを使いこなして勝手にYouTubeを見たりしています。この姿こそがスティーブ・ジョブズが思い描いていたビジョンだったと思います。彼は本当に世の中を変えてしまいましたね。

こうしたGoogle以前からの流れを踏まえると、「iPhone」と「Android」は「Appleが産み落とした双子のデバイス」と言えるかもしれません。

iPodの発案者トニー・ファデル

出典:Tony Fadell.jpg is under CC BY 2.0

Googleで「Keyhole」(現「Google Earth」)「Picasa」(現「Google Photo」)などの買収を主導し、バラク・オバマ政権下でアメリカ合衆国最高技術責任者を務めたミーガン・スミスも過去にGeneral Magicに在籍していました。彼女はApple Japanにも在籍していたことがあり、僕が以前勤めていたデジタルガレージの伊藤穰一(第5話参照)とも親しかったので、日本のマーケット等についてスムーズに話し合えた記憶があります。

第3代アメリカ合衆国最高技術責任者ミーガン・スミス

出典:Megan Smith official portrait.jpg is under public domain

佐藤:ちなみに、世界で最初に発売されたAndroidスマートフォンは2008年10月に米国で発売された「HTC Dream」という機種で、BlackBerryのようなキーボードがついたスマートフォンでした。

世界で最初に発売されたAndroid搭載スマートフォン「HTC Dream」

出典:T-Mobile G1 launch event 2.jpg is under CC BY-SA 2.0

杓谷:スティーブ・ジョブズがiPhoneを発表した2007年1月の約3ヶ月後、Googleのビジネス職の最初の新卒採用面接で私は佐藤さんに初めてお会いしました。iPhoneが発表されてから数週間後には「Gphone」が出るという噂話がニュース記事に出ていました。「Googleがハードウェアを作ると一体どうなるんだろう?」とワクワクしていたので、面接の最後の質問で思わず「『Gphone』って本当に出るんですか?」と聞いてしまいました。佐藤さんが「ノーコメントで」とお答えになった光景を今でもはっきり覚えています(笑)。この「Gphone」こそが後の「Android」だったわけです。

また、入社直後に青山学院大学経営学部マーケティング学科講師の山本直人先生に新人研修をしていただいたのですが、「日本で『iPhone』は売れるのか?」をテーマにグループディスカッションをしたことを覚えています。今では信じられませんが、携帯電話が普及している日本でスマートフォンが普及するかどうかはこの時点ではまだ未知数でした。

参考:CNET Japan「グーグルの『Gphone』が失敗するこれだけの理由」

佐藤:こうして日本でもスマートフォンが発売されるようになりましたが、当時はスマートフォン向けのウェブサイトやアプリがなく、小さなディスプレイにとても小さな文字でPC用のウェブサイトが表示されるという状態でした。「スマートフォンの小さなディスプレイにインターネット広告をどうやって表示させるか」がスマートフォン登場以降のインターネット広告の大きなテーマのひとつで、DoubleClickの買収も関係してくるテーマと言えると思います。

2008年にスマートフォンが発売されはしましたが、本格的にインターネット広告に影響を与え始めるのはもう少し後のことで、この当時のモバイルという文脈では依然として携帯電話、いわゆる「ガラケー」の影響力の方が大きかったのです。その証拠に、2009年にGoogleが初めて放映したテレビCMではまだ携帯電話が大きく取り上げられています。

Google 検索ストーリー:あのひとの言葉

携帯電話におけるインターネット広告は、D2Cなどの「キャリアレップ」が中心となって発展したことを日広の創業者の加藤さんから第15話でご紹介いただいたので、Googleの携帯電話における広告について触れておきたいと思います。

当時、Googleでシニアセールスマネージャーを務め、現在Microsoftで広告事業本部のセールスマネージャーを務められている金田信和さんと、同じくGoogleで携帯電話向けの検索連動型広告に深く取り組んでいたLIFT合同会社の岡田吉弘さんに話を聞くと当時の様子がわかると思います。

auの「EZweb」、ドコモの「iモード」とGoogleの提携

金田:はじめまして、現在Microsof Advertisingでセールスマネジャーを務めている金田信和と申します。僕は2006年に佐藤さんに採用していただきGoogleに入社しました。

金田:僕は、IBMでキャリアをスタートし、後にGoogleに入社するのですが、その間に一時期サイバーエージェントさんにお世話になっていたことがあります。

2000年の夏、藤田社長がメディアレップを通さず、Yahoo! JAPANの広告枠を直接扱わせて欲しいと、当時のYahoo! JAPAN井上社長と直接交渉してきたとご本人から伺いました。その際、とても大きな宿題を頂戴しました。直取引をしたいなら、まずは、実力を見せてみろということです。非常に大きな宿題で、通常なら受けられないようなものでしたが、勝負どころでのCommitmentの強さにオーナー社長の凄みを感じました。社長同士の約束事ですから、Yahoo! JAPANのご担当者の方々も非常にサポーティブで、もちろん、社内の協力も得ることができましたから、なんとか格好のつくところまでは持っていけました。色々交渉の末、継続的にYahoo! JAPANの広告枠を直接仕入れることができるようになりました。それまで、Yahoo! JAPANの広告枠はメディアレップを通すことが慣例だった(第10話、第11話参照)ので、これは当時の広告業界の商習慣としては画期的なことだったと思います。この件を通じて藤田社長の胆力と先見性に驚愕(ちょっと大げさな表現ですが)したことを覚えています。

2006年にGoogleに転職したわけですが、当時のGoogleの営業組織は現在のように広告主に直接営業をするのではなく、広告代理店に向けて営業をしていました。いざ私が入社して各広告代理店に挨拶周りをすると、まるで敵を見るかのような様子で、Googleの代理店営業がとても嫌われていることに気が付きました。最初の頃はなんでそうなのか理由がわからなかったのですが、しばらく様子を見ていると、すぐに電話応対ができていなかったり、メールを放置したりなど、広告代理店へのサポートがしっかり出来ていないことに気が付きました。

こうなってしまうのも無理はありません。当時すでにAdWordsの広告代理店の数が250社ほどあったのですが、担当する我々は10名弱程度。つまり、検索連動型広告市場の爆発的な成長に営業組織がまったく追いついていなかったんです。そこで、僕は広告代理店を売上規模に応じて階層分けし、各階層に応じたサービスレベルを提供するという仕組みを整備し、人員を増強し、少しずつ立て直しを進めるといった仕事をしていました。この時整備した広告代理店へのサポート体制が、その後の各広告プラットフォームの代理店サポート体制の基礎になったと思います。

当時のモバイルの状況について話を戻すと、日本の通信キャリアはドコモ、au、ソフトバンクの3社でした。ドコモが「iモード」、auが「EZweb」、ソフトバンク(J-PHONE → Vodafone → ソフトバンク)が「Yahoo! ケータイ」という言わば携帯電話専用のポータルサイトを持っていたのですが、2006年にau、2008年にドコモと提携して携帯電話用の検索エンジンにGoogleが採用されると共に、検索連動型広告もGoogleのAdWordsが採用されることになりました。ソフトバンクは傘下にYahoo! JAPANとOvertureがあることもあり、検索連動型広告にはOvertureが採用されていました。

携帯電話向けのGoogleの検索エンジンサイトも「Google モバイル」という名前でそれ以前からあったのですが、当時トラフィックは少なかったので、実質的には2006年のauとGoogleの提携がモバイルにおける検索連動型広告、ひいては運用型広告の始まりだったと言っても良いと思います。

2006年5月のauとGoogleの提携発表記者会見の様子

米Googleのモバイル プロダクト マネジメント ディレクターのディープ・ニシャー氏(左)とKDDIの執行役員 コンテンツ・メディア事業本部長の高橋誠氏(右)

出典:Internet Watch「KDDIとGoogleが提携、EZwebにGoogleの検索エンジン採用」(2009年5月19日付け)

2006年5月18日に行われたauとGoogleの提携記者会見で紹介される携帯電話向けのAdWords広告

出典:Internet Watch「KDDIとGoogleが提携、EZwebにGoogleの検索エンジン採用」(2009年5月19日付け)

2008年1月のドコモとGoogleの提携発表記者会見の様子

左からドコモ執行役員(当時)夏野剛さん、Googleのオーミッド・コーデスタニ、ドコモ常務執行役員辻村清行さん、Google日本法人社長村上憲郎さん

出典:Broadband Watch『ドコモとグーグル、iモード端末でグーグルのサービス利用可能に』2008年1月24日付け)

右側の「PR」の部分が「iモード」に表示されるGoogle AdWordsの検索連動型広告

出典:Broadband Watch『ドコモとグーグル、iモード端末でグーグルのサービス利用可能に』2008年1月24日付け)

「mobidec 2006」で紹介された「Yahoo! ケータイ」の画面

出典:ケータイ Watch「ソフトバンク河野氏、Yahoo!ケータイの展望を語る」(2006年11月30日付け)

佐藤:Googleが「iモード」の検索エンジンに採用された時には、携帯電話用のウェブサイトに検索エンジンの「クローラー」(第18話参照)が対応できないという課題があって、ドコモと共同で携帯電話用ウェブサイト向けの検索エンジンの開発に取り組んだりしていました。

岡田:はじめまして、LIFT合同会社の岡田吉弘と申します。私も金田さんと同じく2006年にGoogleに入社し、携帯電話向けの検索連動型広告に深く携わりました。

流通総額の半分をモバイル経由にせよ!

岡田:当時のモバイルという言葉はスマートフォンではなく携帯電話のことを指していました。携帯電話時代のAdWordsの難点として、コンバージョンの計測ができないという課題がありました。携帯電話向けのウェブサイトではJavaScriptが動かないので、計測用のタグが動きません。携帯電話の検索連動型広告市場に可能性を強く感じてはいましたが、この仕組みは継続的に持続できるものはないな、という想いが頭の片隅にいつもありました。

2008年、ある大手ショッピングモール系広告主が自社の流通総額の半分をモバイル経由にすると宣言しました。その頃の携帯電話経由の流通総額は全体の数%あるかどうかで、初めて聞いた時は「本気で言ってるのか?」「スマートフォンのことじゃなくて?」と思わず耳を疑いました。着メロ・着うたなどのコンテンツを購入する以外に、携帯電話でEコマースの通販を行うことは一般的ではなかった時代でした。そのため、彼らの携帯電話用のサイトはデスクトップに比べて明らかに力が入っていませんでした。その企業のマーケティング担当者も「やらなきゃいけないんです!」と悲壮感が漂っているような状況でしたが、目標を実現するためにある程度の規模感を持って協力できるのは当時Googleくらいしかいなかったと思います。

下の画像は当時のGoogle AdWords(現Google広告)の管理画面で、携帯電話向けの広告を作成する画面です。携帯電話はディスプレイサイズが小さいので、パソコン向けには2行追加できる説明文が携帯電話向けの検索連動型広告は1行しか掲載できないなど、広告で伝えられるメッセージが極めて限定的でした。

Google AdWords(現Google広告)の携帯電話用の検索連動型広告の作成画面

出典:アタラ株式会社『インターネット広告の歴史と未来』

Googleの社内でも、水面下で「Android」のスマートフォンを開発していたことと、日本以外の国で携帯電話がさほど普及していなかった影響で、Google AdWordsの管理画面で検索連動型広告用のキーワードを発掘したり検索数を調べるツール「キーワードプランナー」が携帯電話に対応できていませんでした。携帯電話とBlackBerryの検索語句や検索数を調べるには、ロンドンのオフィスの誰かがその場しのぎで作った個人用のデスクトップサーバーで動く社内ツールを使うしかありませんでした。複数の人が同時に利用するとサーバーがクラッシュするので、一般公開されたばかりのGoogleスプレッドシートに使用時間をあらかじめ記入し、予約して利用していました。グローバルでこの1台のツールしかなかったと思うので、海外でBlackBerry向けのキャンペーンを担当していた人もみんな相当苦労したのではないかと思います。

デスクトップに比べて圧倒的に検索数が少ないながらも、携帯電話で検索されている検索語句の中から通販につながりそうな検索語句をキーワードとして登録すると、その翌日からクリック数や売上がものすごい角度でぐんぐんと成長していきました。「携帯電話で物は買わない」と言われていた時代だったのですが、新しい確かなセールスチャネルとして、その大手ショッピングモール系の広告主の経営陣が認知するほどにまで成長しました。最終的に入稿したキーワード数は数十万を優に超えて数百万単位だったのではないでしょうか。常識に囚われずやってみるものだと、挑戦してみることの重要さを感じました。

金田:それまで、検索連動型広告のユーザーの動きは、平日にクリックがたくさん発生して、土日になると激減するというパターンが一般的でした。つまり、平日の仕事の合間にパソコンで検索をして、土日は休日なのでパソコンを開かないというのが一般的なユーザーの行動パターンだったわけです。

それが、携帯電話によってユーザーがインターネットに接する時間が長くなっていき、土日のトラフィックも徐々に成長していきました。ゴールデンウィークなどの長期休暇になると首都圏から地方に帰省する人が増えるので地方からの検索数が上がる、といった動向もはっきりと見えるようになりました。インターネット広告に接する時間がモバイルで大きく変化したことがはっきりと見て取れましたね。

しかしながら、今にして思えばこれが携帯電話時代の最後のピークだったと思います。

ピークを迎えた日本の携帯電話広告市場

佐藤:2008年頃にGoogleの本社に日本の状況を報告する機会がありました。創業者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンも同席していて、僕は日本では携帯電話経由のインターネット利用が急速に進んでいることを話し、サンプルとして日本の携帯電話を渡したのですが、ラリーはずっとその携帯電話で遊んでしまいプレゼンをほとんど聞いてくれませんでした(笑)。最終的に、「携帯電話は日本では市場があるかもしれないが、他の国では可能性がない」と言われたように記憶しています。

当時GoogleのCEOだったエリック・シュミットは、2006年8月からAppleの社外取締役を務めていたので、iPhoneの開発は当然耳に入っていたでしょうし、GoogleとしてもAndroidを開発していたので必要以上に携帯電話に投資をしない、という判断だったと思います。

第35話に続きます。

  • 記事を書いたライター
  • ライターの新着記事
杓谷 匠

株式会社杓谷技術研究所 代表取締役。2008年に営業職の新卒一期生としてグーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。以降、広告主、代理店、広告プラットフォームなど様々な立場で15年以上Google広告の営業、運用、コンサルティング業務に携わる。2019年にGoogleからの紹介を受け、Google Marketing Platform の大手リセラーとして知られる英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画した後、2023年より現職。『いちばんやさしい"はじめての"Google広告の教本』の著者の一人。

  1. 第54話(最終話):AIという前例なき時代に必要なのは「教育」ではなく「学び」である

  2. 第53話:インターネット広告の今後の行方はAIに「愛」が実装できるかが鍵に

  3. 第52話:2021年インターネット広告費がマスコミ四媒体(テレビ・新聞・雑誌・ラジオ)の広告費を追い抜く

RANKING
DAILY
WEEKLY
MONTHLY
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3

RELATED

PAGE TOP