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インターネット広告創世記

第30話:「グレーゾーン金利」の撤廃と「ライブドア事件」がもたらした暗雲

杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第30話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。

前回の記事はこちらです。

杓谷:前回のお話では、世界最大の広告会社WPPグループ傘下の広告代理店オグルヴィからの打診で、加藤さんの日広がネオ・アット・オグルヴィ株式会社という合弁会社を設立するところまでお聞きしました。当時のWPP総帥マーティン・ソレル卿との出会いに関するエピソードは聞いているだけでも胃が痛くなりますね(苦笑)。

佐藤:加藤さんのお話の中で、欧米の広告代理店の「1業種1社制」という考え方がありましたが、これは伝統的な広告業界における一般的な商習慣で、日本の広告代理店でも同業種の企業をひとつの営業局で抱えすぎないような配慮をしていました。

2005年、Appleの「iPod」全盛期のニューヨーク

杓谷:加藤さんが2005年11月にニューヨークを訪問した時期は、私もニューヨークで留学生活を送っていたので現地の様子をよく覚えています。

2005年のニューヨークのタイムズスクエア(南向き)。現在に比べてデジタルサイネージが少ない。(筆者所蔵)

日本からニューヨークに旅立つ際に、スーツケースの限られたスペースの中で、SONYのMDウォークマン用のMD(Mini Disc)にビートルズのアルバムを厳選して詰め込み持参したのですが、留学先の学校でいつものようにMDウォークマンを取り出して音楽を聴いていると、クラスメイトが興味津々で「何それ?」と訊いてきました。どうやらMDウォークマン、とりわけMDを見るのが初めてだった様子で、「日本のオーディオ技術は進んでいるんだな」と誇らしい気分だったのですが、実はまったくの逆でした。

Mini Disc(通称MD)Minidisc.jpeg is licensed under CC BY-SA 3.0

ある日、ニューヨークの地下鉄に乗っていると、乗客のイヤホンの線がみな白いことが目につきました。最初は「ニューヨークは白いイヤホンしかあまり売ってないのかな?」と思っていたのですが、しばらくしてその白いイヤホンの正体はAppleの「iPod」に付属する純正のイヤホンだったことがわかりました。つまり、地下鉄に乗っているほとんどの人がiPodを使って音楽を聴いていたわけです。よく街なかを見てみると、ニューヨークの地下鉄の入口にはほとんど必ずと言っていいほど、テレビCMでも使用されていた影絵が象徴的なiPodのポスターが貼ってあることに気が付きました。マンハッタン中がiPod一色だったわけです。

#1 iPod commercial

当時、日本では周りにiPodを使っている人はほとんどいませんでしたし、パソコンと接続することを前提にしたMP3プレーヤーを使用している人が周りにほとんどいなかったので、そのポスターがiPodの広告であることになかなか気がつくことができなかったんです。文字もきわめて少ないデザインでしたし。

米国では、MDプレーヤーを経由せずに、CDプレーヤーから直接iPodに音楽を聴くデバイスが進化していたんです。どうりでクラスメイトが「何それ?」と訊いてくるわけです。セントラルパークでは、サイズの大きな第4世代iPodをリストバンドで二の腕にくくりつけてランニングをしている人たちをたくさん見ました。でも、ランニングで使用するにはちょっと大きすぎですよね(笑)。

出典:AV Watch「“iPod 12台持ち男”が振り返る『iPod 20年史』」(2022年5月付け)

その後、iPodと同様の機能を持つ香水瓶を模したネットワークウォークマンをSONYが発売しました。米国で発売が開始されたタイミングでマンハッタンにある家電量販店Best Buyに見にいったのですが、店員に鍵を開けてもらわないと実機を見ることができない不便な場所に置いてあったことに愕然としました。学生ながらに「日本のメーカーは大変なことになるぞ」と思いましたね。

出典:AV Watch「50時間再生/MP3対応「ネットワークウォークマン」-3分充電3時間再生。1GBで2万円の廉価モデルも」

同時に、「日本の外ではIT業界が世界を大きく変えつつあるらしい」と、IT業界に興味を持つきっかけになり、とりわけAppleの魅力に取り憑かれていきました。この連載で初めて気がついたことですが、この約10年前に佐藤さんがMacと出会って受けたAppleの洗礼を、私は2005年にiPodで経験したわけです。

インターネットに接続できる携帯電話「BlackBerry」の普及

杓谷:この他に、この時期のニューヨークでよく覚えているのは、米国ではインターネットに接続できる携帯電話「BlackBerry」が会社で支給され始めたことです。駐在員の方が「これで会社に24時間見張られてしまう」と嘆いていらっしゃったのをよく覚えています(笑)。

2005年3月の「CTIA Wireless 2005」ドコモブースで展示されていたBlackBerry

出典:ケータイ Watch「第219回:BlackBerry とは」(2005年3月付け)

日本ではフィーチャーフォン、いわゆる「ガラケー」(第15話参照)が1999年に登場して一般に広く普及しましたが、欧米で本格的に普及したのはこの「BlackBerry」が普及する2000年代中頃で、日本よりかなり遅いタイミングでした。というよりも、日本だけが突出して早かったと言う方が正しいでしょう。「BlackBerry」は日本では欧米ほどは普及しませんでした。

ポップアップバナーを駆逐するGoogleツールバー

杓谷:当時まだ学生だった私がはっきりとGoogleの存在を認識したのはこの頃です。第17話で佐藤さんがお話していますが、この頃の米国のウェブサイトではポップアップ広告が氾濫していました。これは、当時のバナー広告の課金方式が「インプレッション保証」で、広告を表示させることが広告媒体の収益に直結したからです。

また、当時は「トロイの木馬」というコンピューターウィルスも流行っていて、ポップアップバナーを乱発したり、勝手にコンピューターを再起動させたりしていてひどい有様でした。一説には、この「トロイの木馬」はコンピューターウイルスソフト会社のマーケティングでばら撒かれたとも言われています。

こうしたポップアップバナーに悩まされている時に、Googleが無料でインターネット・エクスプローラー用のツールバーを提供していることを知りました。しかも、インストールをするとポップアップバナーをブロックしてくれるのです。「こんなツールを無料で提供してくれるなんて!」と好感を持ったのが私にとってのGoogleとの最初の出会いでした。

出典:Internet Watch:「米Google、英語版ツールバーの新バージョンベータ版を公開」(2005年2月17日付け)

出典:Internet Watch:「ポップアップ広告をブロックする『Google ツールバー 2.0 日本語版』」(2003年9月25日付け)

後に、Googleがこうしたユーザービリティを損なうバナー広告を忌み嫌っていたことを知り、「そういうことだったのか!」と納得しました。

加藤:2005年11月、こうした状況下のニューヨークのオグルヴィ本社でMOU(Memorandum of Understanding。覚書のこと)を交わし、2006年4月に日本でネオ・アット・オグルヴィ株式会社を合弁で契約したのですが…この頃が経営者としての僕の絶頂、まさに「我が世の春」でした。

2006年1月14日発売の『週刊ダイヤモンド』で日広が取り上げられる

加藤:総売上73億円、申告所得17億円、そして8億円超の法人税を納めたときにはさすがに身震いしたのを覚えています。2006年1月14日発売の『週刊ダイヤモンド 新春特大号』で行われた、会社設立20年以内の非上場企業の中で法人申告所得が3年連続伸びている会社を対象にした調査で、日広は第4位に選ばれました。そしてなんと、記事によれば調査対象企業の中で、成長率はトップだったようです。

2006年1月14日発売の『週刊ダイヤモンド 新春特大号』で特集される加藤さんと日広(加藤さん所蔵)

GoogleのAdWordsやOvertureのスポンサードサーチなどの検索連動型広告や、第15話で紹介したモバイルキャリアの広告などが絶好調だったことを背景に、メディアレップ事業、新規事業といずれも出来すぎなほどの結果が出ました。僕が日広を経営していた1992~2008年の間で最も好調な時期でした。

しかし、この『週刊ダイヤモンド 新春特大号』が発売された2006年1月に大きな転機が訪れました。

「グレーゾーン金利」の撤廃につながる最高裁判決

加藤:2006年1月13日に最高裁判所で下された「グレーゾーン金利」に関する判決は、「グレーゾーン金利」の撤廃へと繋がる重要な転換点となり、消費者金融業界に大きな影響を与えました。

参考:日本弁護士連合会ウェブサイト『「みなし弁済」の適用に関する最高裁判決についての会長声明』

「グレーゾーン金利」とは、「利息制限法」が設定する上限20%と、「出資法」が設定する上限29.2%の間の金利のことで、消費者金融の多くが20%以上の金利を設定していました。

最高裁の判決によって、この20%を超えた部分のグレーゾーン金利が明確に違法となり、過去にさかのぼって返還することが義務付けられました。この判決は、消費者金融業界だけでなく広告業界全体にも大きく影響を与えることになります。第32話で詳しく紹介していきたいと思います。

この影響をもろに受けたのが、日広が長年深く関わっていたGMOインターネット(旧インターキュー。第8話、第13話参照)です。同社は、前年の2005年9月にオリエント信販株式会社という消費者ローンを提供する会社を買収していたのですが、買収したばかりの会社の過払い金を過去にさかのぼって返還していく必要に迫られたのです。GMOインターネットは、日広の長年のお得意先であり、メディア事業でも大仕入先でした。が、この判例の結果、グループ全体の広告の出稿金額を大きく抑える必要がでてきたわけです。当然、日広の売上も大きく減ってしまいました。

そして、日広にとってもうひとつ大きな事件があのライブドアショックです。同社もまた重要なお取引先でした。

2006年1月16日、ライブドアが東京地検による強制捜査を受ける

加藤:『週刊ダイヤモンド 新春特大号』が発売されたわずか2日後の2006年1月16日、六本木ヒルズのライブドア本社などが証券取引法違反の疑いで東京地検による強制捜査を受けました。当時六本木ヒルズには日広のお客様が4社入っていました。

ライブドアとはオン・ザ・エッヂ時代からお取引があったんですが、お取引が増えだしたのは2004年からでした。第12話で、サイバーエージェントの創業に深く関係し、日広も代理店になっていたクリック保証型広告のバリュークリックジャパンについて紹介しました。2004年にライブドアが同社を買収したことでライブドアマーケティングという名前の会社になったのですが、こうした経緯でライブドアとの関係が出来始め、ポータルサイト「Livedoor」など、ライブドアが運営するサービスの広告の取り扱い高が大きくなっていったんです。そのライブドアが、東京地検特捜部による強制捜査を受けたことで、取引が激減してしまいました。

「我が世の春」から一転して窮地に陥る

加藤:日広の大口顧客であったGMOとライブドアが同時にこのような状態になり、日広の経営を直撃したんです。2006年3月は初の月間売上10億円に到達したのですが、ここをピークに業績は急落し、わずか半年で6億円強まで激減してしまいました。

日広は、創業間もない頃から成年誌の広告(第8話参照)で儲かっていたので、創業以来ずっと黒字だったんです。運営に必要なお金は手に入ってたし、資金調達の必要性を強く感じてはいなかったので上場を目指していませんでした。上場しないと決めたことで取れた仕事もたくさんありました。

2006年夏に初めて赤字になり、資金繰りもきつく、「うわーこれはやばい」と思いました。実は、第29話でお話ししたオグルヴィとの合弁会社も負担になって、日広自体の運営がかなり厳しくなってしまいました。

2006年10月、佐藤さんにGoogleの「ザイトガイスト」にご招待いただく

加藤:まさに地獄のような時期を迎えていた2006年の10月、僕は佐藤さんからご招待いただき、米Google本社で行われる「ザイトガイスト2006」に参加することになりました。内心では「それどころじゃないんだけどな」と思いながらの参加でした(苦笑)。

2006年に行われた「ザイトガイスト」のパンフレット(加藤さん所蔵)

第31話に続きます。

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杓谷 匠

株式会社杓谷技術研究所 代表取締役。2008年に営業職の新卒一期生としてグーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。以降、広告主、代理店、広告プラットフォームなど様々な立場で15年以上Google広告の営業、運用、コンサルティング業務に携わる。2019年にGoogleからの紹介を受け、Google Marketing Platform の大手リセラーとして知られる英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画した後、2023年より現職。『いちばんやさしい"はじめての"Google広告の教本』の著者の一人。

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