杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第29話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。
前回の記事はこちらです。
杓谷:前回のお話では、Googleの創業者のスタンフォード大学時代のクラスメイトだったMax Erdsteinさんが始めた広告の「運用」についてお話を伺いました。また、中小企業向けの新しい広告代理店の登場の一例として、株式会社キーワードマーケティング創業者の滝井秀典さんに当時の様子を伺いました。検索連動型広告の登場によって、インターネット広告市場全体が大きく成長していく様子が窺えますね。
佐藤:大手企業向けには、Googleの「AdWords」やOvertureの「スポンサードサーチ」にいち早く取り組んだインターネット専業広告代理店と、大手総合広告代理店との業務資本提携が進みました。
インターネット専業広告代理店と大手総合広告代理店の業務資本提携
佐藤:検索連動型広告の市場規模が大きくなっていったことで、運用をしっかりとできるインターネット専業広告代理店の価値が大きく高まっていきました。AdWordsを積極的に販売してくれていたアイレップ、アウンコンサルティングが上場を果たし、電通グループはオプトと、博報堂グループはアイレップと業務資本提携を行っていくことになりました。
- サイバーエージェント:独立路線を維持(2000年上場)
- オプト:2005年に電通グループと業務資本提携(2004年上場)※1
- セプテーニ:独立路線を維持(2001年上場)
- 日広:未上場を維持。WPPグループのオグルヴィ・アンド・メイザーと業務提携。合弁会社を設立(2006年)
- アイレップ:2006年上場。博報堂DYメディアパートナーズと業務資本提携(2006年)※2
- アウンコンサルティング:2006年上場
※1:CNET Japan「電通とオプト、ネットマーケティング全般で業務・資本提携」
※2:博報堂DYメディアパートナーズ、ニュースリリース「博報堂DTメディアパートナーズとアイレップ SEM領域で業務・資本提携」
検索連動型広告市場が爆発的に成長した影響で、大手総合広告代理店が決して無視できないサイズにインターネット広告市場が成長してきた証左と言えるかもしれません。そして、この動きはOvertureの「推奨認定代理店協会」(第23話参照)の会長を務めていた加藤さんの日広にも大きな影響を与えることになります。
加藤:第23話で紹介したOvertureの「推奨認定代理店協会」の取り組みに一番ビビッドに反応してくれたのは、米国の西海岸とニューヨークだったんです。
インセンティブツアーで訪問した米国
加藤:当時日広は、ポータルサイトの「エキサイト」や「MSN」の広告をたくさん販売していたので、販売成績の良かった広告代理店だけが招待される彼らのインセンティブツアーで、西海岸の本社に毎年行かせてもらったんですね。
第23話で紹介したOvertureの「推奨認定代理店協会」として、Overtureのインセンティブツアーにも呼んでいただきました。下の画像は、サンフランシスコ近郊のベイエリアで開催されたOvertureの「Global Agency Summit 2005」に参加した時の写真です。右から3番目に映っているのが僕ですね。イベント自体は4日間にわたって行われたのですが、実際にOvertureのオフィスに行ったのは2日ぐらいで、あとはナパバレーでワイン飲んでただけな気がしますけど(笑)。

Overtureのインセンティブツアーに参加する加藤さん(右から三番目。加藤さん所蔵)
「広告の神様」が作った米国の広告代理店オグルヴィからの突然の連絡
加藤:2005年の夏、僕は唐突にオグルヴィという米国に拠点を持つ広告代理店で、当時 の日本法人代表を務めていた山本恵三さんと会うことになりました。同年の4月に載った『宣伝会議』のインタビューで知ってもらったようです。僕がOvertureの推奨認定代理店協会の会長だったこともあり、興味を持って頂いたのだと思います。
オグルヴィの正式名称は「オグルヴィ&メイザー」で、「広告の神様」の異名を持つデイヴィッド・オグルヴィが作った会社です。ロールス・ロイスの「At 60 miles an hour the loudest noise in this new Rolls-Royce comes from the electric clock.」(時速60マイルで走るロールス・ロイスの中で一番大きく響くのは電気時計だけです)といったキャンペーン広告や、ユニリーバの石鹸「Dove」の「Only Dove is one-quarter moisturizing cream.」(数ある石鹸の中でダヴだけが、4分の1の潤いを与えているクリームです)などで広く知られています。この当時は既に完全にWPPの傘下で、マイルズ・ヤング(Miles Young)がトップだったと記憶しています。

1969年に撮影されたデイヴィッド・オグルヴィ氏
出典:Opdracht Haagse Post Bijeenkomst Amstelhotel, David Ogilvy (kop), Amerikaans rec, Bestanddeelnr 922-5100.jpg is under CC0 1.0 Universal
加藤:オグルヴィのデジタル部門を作るという構想があるということだったのですが、内容をよく聞くと、要するに「オペレーションデスク」なんです。
杓谷:ここで言う「オペレーションデスク」というのはGoogleの「AdWords」やOvertureの「スポンサードサーチ」などの検索連動型広告を運用するチームという意味ですね。
加藤:当時、日本にはオグルヴィ・ワン・ジャパンというダイレクトマーケティング部門はありましたが、2005年の時点では検索連動型広告のキーワードや広告文を作成して入札を管理・運用をできる人が同社にはいませんでした。WPPグループとして見ても、日本ではグループエムやマインドシェア、ワンダーマンなどの日本法人があったのですが、検索連動型広告を運用できる会社はまだありませんでした。
連絡をしてきたオグルヴィ・ジャパンの代表から「アメリカによく行ってるなら、今度ニューヨークに行きませんか?」と誘われたので、ほいほい行ってみたんです。
2006年4月ネオ・アット・オグルヴィ株式会社を設立
加藤:結果的に、日広はネオ・アット・オグルヴィ株式会社を2006年4月にオグルヴィと合弁で設立しました。オグルヴィが51%、日広が49%という資本比率だったのですが、オグルヴィには検索連動型広告を運用できる人がいないということで、当初の社員は全員日広が出すことになりました。その後、オペレーションデスク専門の会社を各広告代理店が作りましたが、オペレーションデスク専業としては本当に先駆けだったと思いますね。
下の画像は、2006年の秋に発行されたオグルヴィの会社案内で、ネオ・アット・オグルヴィのアジア太平洋地域の責任者と対談している僕の記事です。

ネオ・アット・オグルヴィのアジア太平洋地域の責任者スザンナ・ツイさんと話す加藤さん(加藤さん所蔵)
WPPグループ総帥マーティン・ソレル卿との出会い
加藤:ネオ・アット・オグルヴィを設立する4ヶ月前の2005年11月頃のことだったと思います。すでに合弁会社設立のMOU(Memorandum of Understanding。覚書のこと)を交わしていたのですが、アメリカに拠点のあるWPPグループ全社の幹部ミーティングで、「加藤を紹介したい」と打診されました。日本のオペレーションデスクのビジネスパートナーとして、ぜひ来てくれということでした。
当時のマーティン・ソレル卿は、アドマンとしての絶頂期を迎えていた時期だったのではないでしょうか。有名なクリエイティブエージェンシーを相次いで買収していた頃で、雑誌の『宣伝会議』でしか見たことがありませんでした。とにかく驚いて、「え〜!あのマーティン・ソレルに会うなんて!」といった感じでした。電通やCCIの方も「なんでお前が!?」ってびっくりされてました(笑)。

2010年の世界経済フォーラム(通称ダボス会議)に出席するマーティン・ソレル卿
出典:Martin Sorrell – World Economic Forum Annual Meeting Davos 2010 crop.jpg is under CC BY-SA 2.0
加藤:ニューヨークのタイムズスクエア付近にあったオグルヴィの本社で、僕はマーティン・ソレル卿(英国で騎士の称号を得ているので”Sir.” Martin Sorrellと呼ばれている)に会うことになりました。実際にお会いしてみると、想像以上にとても小柄な方だったのでびっくりしました。
オグルヴィの幹部が、「彼は日本のエージェンシーユニオン(Overtureの「推奨認定代理店協会」のこと)のリーダーで、ルールメーカーだ」という紹介をしてくれたのですが、とりあえず握手してものすごい冷や汗が出たことしか覚えてないです(苦笑)。とにかく「Nice to meet you」だけはちゃんと言おうと思っていました。
会議にも出席したのですが、あまりの英語のわからなさに自分でもびっくりしました(笑)。僕がまったく英語がわからずコミュニケーションが取れないので、向こうが音を上げて通訳を雇ってくれました。今は全然違いますが、当時はWPPの幹部にアジア人がほとんどいなくて、本当に白人社会だったんです。
杓谷:ほんの10年前には、成年誌専門の広告代理店で大手出版社から虐げられていた加藤さんと日広(第8話参照)が、「広告の神様」と「広告界の帝王」に見出されることになるわけですから、人生とは本当に不思議ですね。
マーティン・ソレルは39歳でWPPを始めて、80歳になる今でもS4 Capitalというデジタルを中心とした広告代理店の経営をしていて、広告業界の最前線に立ち続けています。

Sir Martin Sorrell Unfiltered: The Future of Work, AI & Income Inequality | Saturday Mornings
WPPは元々は水道管工事の会社だった
加藤:2005年当時、世界最大の広告代理店だったWPPは元々は「Wire & Plastic Products」という名前の会社で、水道管工事の会社でした。それを、マーティン・ソレル卿がほぼ1代で世界最大の広告代理店に育て上げたのです。
当時、ロサンゼルスオリンピックで金メダルを取った体操の森末慎二さんが出演していた水道管工事のテレビCMで、「暮らし安心クラシアン」というCMがありました。生活者が一番最初に思い出すブランドのことを「第1想起ブランド」と言うのですが、水道管のトラブルが発生した時の「第1想起ブランド」になることを目指したのが「暮らし安心クラシアン」のテレビCMだったんです。水道管はたまにしか壊れませんが、壊れた時に数ある水道管工事会社の中でクラシアンを思い出してもらうことが売上に直結します。
「だからすごく広告が大事なんだ」というのがマーティン・ソレル卿の元々の発想なんです。彼の原点は水道管工事会社としてのWPPでの経験にあったんです。この発想が「1st. Moment of Truth」というマーケティング理論に発展していきました。P&Gをはじめとする一般消費財メーカーが「1st. Moment of Truth」にコミットし続けるのは、こうしたマーケティング理論が背景にあります。
オグルヴィが日広に提携を持ちかけた理由
加藤:オグルヴィが日広に提携を持ちかけた大きな理由の一つに、日広が日本の大手消費者金融の広告をやっていなかったから、という点があります。
1996年から2005年まで10年間、日本で広告宣伝費を使う企業の上位は、大手の消費者金融業が占めていました。武富士、プロミス、アコム、アイフル。当時と今では桁が一つ違うというぐらい広告宣伝費の規模が大きかったのですが、この4社こそが、10年以上にわたり日本の広告産業の屋台骨だったんです。テレビCMのスポット広告の買い主としてこの4社のシェアがどのくらいかというと、荒く見積もっても15%はいってたと思います。この4社はインターネット専業広告代理店の超重要顧客でもありましたが、当時の日広はいずれも顧客ではなかったんです。
オグルヴィ本社としては、米国の主要顧客だった消費者金融業の日本法人のマーケティングを僕に任せたかったんです。また、WPPグループにとってはアメリカン・エキスプレスが超重要顧客なんですが、アメリカン・エキスプレスも貸金業をやっていました。
欧米の広告業界には1業種1社制という考え方があります。守秘義務や利益誘導防止の観点から1社が同じ業種の広告主を複数抱えないようにしていて、WPPグループは当時この考え方を堅持することで、自らのグループ経営を正当化していました。日本で提携先候補のインターネット専業広告代理店を調査する中で、日広の顧客に日本の消費者金融業者が一切入っていなかったので、WPPグループの顧客と競合しないだろうと考えて日広を提携先に決めたのだと思います。
デイヴィッド・オグルヴィのことをこの時すごく勉強したんですけど、僕は成年誌の広告出身なんで、彼のような上品なクリエイティブ世界なんて縁がないと思っていたし、僕みたいに変わった経歴の人が広告の神様と言われた人が作った会社とジョイントベンチャーができるっていうのは、本当に面白かったですね。
第30話に続きます。