杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第14話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。
前回の記事はこちらです。
杓谷:20世紀末になるとインターネット・バブルが到来し、アメリカでも日本でもインターネット界隈がとても盛り上がったわけですね。
佐藤:インターネット・バブルの影響も後押しして、1998年〜2000年頃にかけて、バナー広告の配信技術が進化してきました。その進化の中心にいたのが後にGoogleが買収することになる米DoubleClickです。
複数のウェブサイトを横断して広告を配信できた「Infoseek Network」
佐藤:当時の米Infoseekには、スタートアップの頃のGoogleのような技術優先のカルチャーがあって、人の手でやるような作業や問題解決を全部コンピューターでやってしまおうという姿勢が感じられました。
広告の表示回数1,000回の価格を意味するCPM(Cost Per Mille)単位で広告販売を行った最初の検索サイトの一つであり、検索技術を応用してユーザーのInfoseek上での行動に応じた「Behavioral Targeting」(行動ターゲティング)広告を開発した最初の会社でもありました。行動ターゲティング広告は「Select Cast」という名前で米国では試験的に導入していて期待していたのですが課題が多く、結局日本では広告商品としての実装にはいたりませんでした。
それから、1996年には「Infoseek Network」という他のサイトにも広告が配信できるシステムが既に米国で稼働していて、驚いたものです。「Infoseek Network」は、バナー広告の画像をInfoseekのサーバーにアップロードすると、自動的に「Infoseek Japan」と提携した他のウェブサイトにバナー広告を表示させることができ、3つのウェブサイト合計で保証していた表示回数に達すると、自動的に次の広告に切り替わるといった仕組みを実現していたように思います。まだ「アドネットワーク」という言葉が存在していなかった時期だったのではないでしょうか。日本でも早速、「So-net」「JustNet」と契約を結び、広告配信を行っていました。

「Infoseek Network」の概念図(筆者作成)
佐藤:Infoseekのサーバーから広告が様々なウェブサイトに配信されることから、伊藤穰一が「将来的には世の中全部のサイトがInfoseekのウェブサイトになっちゃうってことだよね。」と言っていたのをよく覚えています。実際に、Googleは「AdSense」を通じて、それを実現しました。後にGoogleやDoubleClickが使う技術の雛形がすでにInfoseekにはあったんです。
バナー広告の配信技術の進化
杓谷:ここで少しバナー広告の配信を支える技術について解説をしておきたいと思います。
インターネット広告黎明期の広告配信はとてもアナログで、下の図のようにメディアレップが広告主や広告代理店からバナー広告に使用する画像を受け取ると、各ウェブサイトの担当者に渡し、各ウェブサイトの担当者がサーバーにアップロードして広告の配信を行っていました。第10話、第11話で、ウェブサイトの数が増えてくるにしたがって、この作業がいかに煩雑になっていったかを見てきました。

インターネット広告市場初期のバナー広告配信の概念図
杓谷:90年代末になると、複数のウェブサイトを横断してバナー広告を配信する「アドサーバー」が登場しました。バナー広告が、ウェブサイトのコンテンツを配信するサーバーと別のサーバーから配信されるため、「第三者配信」と呼ばれることもあります。「第三者配信」は英語で「3rd Party Ad Serving」なので、頭文字を取って「3PAS」(スリーパス)と呼ばれたりもしています。
この「アドサーバー」を使って複数のウェブサイトに同時に広告を配信し、表示回数やクリック数を統合して計測できる仕組みのことを「アドネットワーク」と呼びます。現在広く使われている「Google Display Network」や、前述の「Infoseek Network」、第12話で登場した「バリュークリック」「サイバークリック」もこの「アドネットワーク」の種類のひとつです。

「アドサーバー」を活用したバナー広告の配信の概念図
佐藤:「アドサーバー」「アドネットワーク」が普及したことで、売れ残ることが多かったトップページ以下のページの収益化が容易になりました。
また、レポーティングの観点からも大きなメリットがあったと思います。これまで、バナー広告の画像は各ウェブサイトのサーバーにアップロードされていたので、広告の表示回数、クリック数などの指標は各ウェブサイトが独自に計測した数値を利用していました。この場合、収益の観点からウェブサイト側が表示回数やクリック数を水増ししてレポートを改竄することもできてしまいます。「アドサーバー」を利用して広告の配信自体の機能を独立させることで、レポートの改竄を未然に防ぐことができるようになりました。また、各ウェブサイトごとに異なっていた広告の表示やクリックの定義を統一することにもつながりました。
こうした経緯から、メディアレップが「アドサーバー」を導入していくことになるのですが、この「アドサーバー」の技術を開発して米国で広く使われていたのがDoubleClickです。
加藤:DoubleClickに関しては、ダブルクリックジャパンの代表を務め、後にOverture、Criteoなどの日本法人代表を歴任された、株式会社SUIM代表取締役の上野正博さんに話を聞くと良いと思います。上野さんは日本のインターネット広告の生き字引的な存在なので、連載に加わっていただくと当時の様子がよくわかります。
トランスコスモスとNTTグループによるダブルクリックジャパン設立の経緯
上野:ご紹介にあずかりました上野正博と申します。ダブルクリックジャパンが創業して丸一年経った頃の1998年10月1日にご縁あって代表を務めることになりました。私の知っている範囲でダブルクリックについてご紹介できればと思います。
上野:ダブルクリックジャパンの設立は、当時トランスコスモスで役員を務められていた山村幸広さんが直接ニューヨークに行ってジョイントベンチャーをやらせてくれないかと打診したことが始まりだったと伺っています。対抗馬として電通グループも来ていたそうですが、山村さんの熱意もあって米DoubleClick創業者のケビン・オコナーと、後にCEOを務めることにもなるケビン・ライアンとの交渉が成立し、ダブルクリックジャパンを設立することになったと伺っています。

1997年12月の米DoubleClickの公式ウェブサイト
杓谷:今振り返ってみると、米DoubleClickがトランスコスモスを選んだことは日本のインターネット広告史においては大きな出来事だったかもしれません。電通グループが出資ないしは投資していた場合、日本のインターネット広告は違った形で発展していたかもしれませんね。
上野:そう思います。第11話でも少し触れられていますが、米DoubleClickは元々DECが開発した検索エンジン兼ポータルサイト「AltaVista」(アルタビスタ)のバナー広告配信システムを開発していて、AltaVista系列のアドネットワークを運営していた会社でした。日本でサービスを開始するにあたり、AltaVistaのようなポータルサイトで提携できそうなところを探した結果、NTTの「goo」と提携することになりました。当時のトランスコスモスは、現在会長を務めている奥田昌孝さんが「Jストリーム」というインターネットを利用したコンテンツ配信インフラを提供する会社を立ち上げていて、そこにもNTTが出資していたと思うので、NTTとは元々関係が深かったんです。
山村さんは、1997年9月から約1年間ダブルクリックジャパンの社長を務められたのですが、トランスコスモスのオーナーの奥田耕己さんに本社に呼び戻される形で1998年9月末に退任されました。翌年の1999年に伊藤忠商事が出資して設立された米Excite Inc.の日本法人エキサイト株式会社(以下エキサイト)の責任者に就任し、2004年に上場を果たしています。山村さんがトランスコスモスに戻られたタイミングで、1998年10月1日から私がダブルクリックジャパンの代表に就任することになりました。
私の前職はリクルートだったのですが、当時は課長レベルで部下が十数人いるといった程度でした。代表就任を打診された時に「ダブルクリックジャパンには何名いらっしゃるんですか?」と聞いたら同じく「十数人です」とおっしゃられていたので、なんとか出来るかなと思って軽い気持ちで引き受けたのですが、当たり前ですけど全然違いましたね(笑)。ダブルクリックジャパンとして採用されているプロパーの社員はその半分もいなかったですね。出資者のトランスコスモス、NTT、NTTアドからの出向者がほとんどでした。
NetGravityを買収してDoubleClickの市場規模が日米ともに拡大
上野:先ほども申し上げました通り、米DoubleClickは元々AltaVistaのアドネットワークとして誕生したのですが、アドネットワークの中の複数のパブリッシャー(広告枠を提供するウェブサイトまたは事業者)から広告の販売や管理は自分たちでやりたいという要望があがり、広告配信の技術、つまり「アドサーバー」だけを販売していくというビジネスを展開し始めました。それが「DART」(読み方は「ダート」。「Dynamic Advertising Reporting & Targeting」の頭文字)という製品です。「DART」は広告主向けの製品と、パブリッシャー向けの製品があったのですが、パブリッシャー向けの製品が「DFP」(「DART for Publishers」の略で、Googleの買収後にDoubleClick for Publishersに改称)で、現在の「Google Ad Manager」ですね。
日本でも同じように、アドネットワーク事業とは別の事業部を作ってテクノロジーの販売だけ始めたらどうだという話になって実際に始めたのですが、「DART」は当時としては珍しいASP(Application Service Provider)ツールで、今のGoogle広告と同じようにブラウザで操作を行う仕組みだったんですね。一方で、米DoubleClickの競合で、アメリカで既に上場していた「NetGravity」という会社があり、その会社が提供していた広告の配信管理システムはいわゆるオンプレミス型で、サーバーを設置するタイプの製品でした。
当時の日本の大手パブリッシャーである朝日新聞、日経新聞、毎日新聞は軒並みサーバー設置型のご要望の方が大きく、全部ライバルのNetGravityにもっていかれてたんです。1年ぐらいNetGravityと戦っていたんですが、米国でDoubleClickがNetGravityを買収するという動きがあり、サービスを統合することになりました。「DART」に加えて「DART Enterprise」というサーバー設置型のサービスを開始することになり、米国のトラフィック上位50サイトのうち27サイトがDoubleClick製品を使用しているという状態になりました。
出典:Internet Watch「ネット広告のDoubleClick、Netgravityを合併」(1999年7月)
日本でも、ダブルクリックジャパンとNetGravityの日本法人が合併し、大手パブリッシャーが軒並み「DART」を利用しているという状態になりました。メディアレップも、博報堂・旭通信社系のDACが1998年に「DFP」を採用していて、電通系のCCIも当初はサーバー設置型の「DART Enterprise」を利用していたのですが、カスタマイズや機能拡張が追いつかず、2000〜2001年頃には「DFP」を採用していたと記憶しています。
DoubleClickがインターネット広告に「ターゲティング」の概念をもたらした
佐藤:この少し前の1997年にブラウザを個別に識別する技術「Cookie」が標準化されました。Cookieが導入されたことで、ウェブサイトがログイン機能を持つことができるようになり、表示されるコンテンツのパーソナライズ化が可能になりました。DoubleClickは、このCookieを使った広告配信技術を開発しました。Googleが設立される前の出来事です。
上野:DARTのTがTargetingのTということからもわかるように、ウェブサイトのドメインや、広告枠の位置、IPアドレスに基づいた地域などを指定してバナー広告を出し分けることができ、インターネット広告における「ターゲティング」の概念の基礎を築いたと言っても良いと思います。
Cookieが標準化されると、ブラウザにDoubleClickが発行するCookieを保存してブラウザのウェブサイトの閲覧履歴を記録し、この閲覧履歴に応じた広告を配信する「オーディエンスターゲティング」という技術を確立しました。その結果、今もGoogle Display Networkのターゲティングで使われているような「スポーツ好きユーザー」「旅行好きユーザー」などといったように、ユーザーの興味・関心カテゴリごとに広告を配信することができるようになりました。
佐藤:実は、Googleは後にDoubleClickを買収するまでCookieを使った広告の配信技術は開発していなかったんです。

Google Chromeに保存されたDoubleClickのCookie。Chromeの「Developers Tools」で確認できる。
また、このオーエディエンスターゲティングの種類の一つで、広告主のウェブサイトに訪問したユーザーに対して広告を配信する「リターゲティング」広告の配信もDARTではすでに実現できていて、「Boomerang」(ブーメラン)という名前で提供していました。
加えて、確か1999年か2000年のことだったと思うのですが、アメリカで最大手に近いカタログの通信販売会社が7000〜8000万人規模のユーザーの購買データを持っていたのですが、その購買データとDoubleClickのCookieを統合しようとしたら、アメリカのFTC(米連邦取引委員会)がそれはダメだということで諦めたという出来事もありました。結構粘ったんですが、ダメなものはダメ、ということでした。
杓谷:この記事が掲載される2025年現在、このDoubleClickのCookieを含むいわゆる「3rd Party Cookie」の取り扱いを巡ってインターネット広告は大きな転換期を迎えていますね。データをどこまでくっつけて良いか、という問題はこの時から現在までずっと続いている課題の一つですね。本連載の最終章でこのテーマについても改めて触れたいと思います。
第15話続きます。