杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第5話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。
前回の記事はこちらです。
杓谷:前回の記事では、山海塾のツアーをきっかけに、子供向けバラエティ番組『ウゴウゴ・ルーガ』のCG制作を担当された氏家啓雄さんと出会い、コンピューター、とりわけMacへの興味を深めていきました。旭通信社のクリエイティブ制作の現場にもMacが登場しはじめましたね。
佐藤:当時僕は国際一部という部署にいて、日本の企業を海外に宣伝する仕事だったのですが、国際二部という部署もあって、これは逆に海外の企業を日本国内で宣伝するための部署でした。その国際二部に、提携会社だった米国の広告代理店BBDOとの関係で取り扱いがあったのがアップルコンピュータ(現Apple Inc. 以下Apple)でした。
Appleの国内プロモーションを担当することに
佐藤:この頃にはコンピューターもだいぶ複雑になってきていて、国際二部の担当者がAppleの商品説明のオリエンテーションを聞いてもよくわからないので辞めたいと言い出しました。国内事業部のSP部(「Sales Promotion」の略。主にイベントなどを企画する。)にMacに詳しい方が一人いて、ほとんどその人がクライアントと直接やり取りをしているというような状況でした。
担当者が辞めるということで部署としての取り扱いも辞めようかという方向に話が進んでいく中で、「もったいないじゃないですか、僕がやります!」と、つい言ってしまいました。すると、本部長がSP部のMacに詳しい人を国際部に入れて「お前らでやってみろ」ということになり、1994年からその二人でAppleを担当することになりました。彼はもうAppleとはずっとやり取りをしていたのでAppleの日本法人と関係構築ができていました。当時「Power Macintosh」シリーズが発売されたばかりだったので「Power Mac Night」というイベントを渋谷のクラブでやることになりました。
Power Macintosh 7200Power Macintosh 7200 is licensed under CC BY-SA 2.0
杓谷:「Power Macintosh」は、CPUにApple、IBM、モトローラの三社で開発した「PowerPC」を採用した処理能力が高い高性能なMacで、「PowerPC G4」を採用した機種からは「Power Mac」と改称されました。
佐藤:この頃のAppleのオリエンテーションに参加すると、開発のロードマップを一般に先駆けて公開してくれました。資料に「OpenDoc」「QuickTime」の新バージョンの公開予定日とか書いてあるわけです。普段から『MacWeek』などのMac雑誌を読んでいたので、それを見ただけで「お〜っ!」と興奮してしまいましたね。そのオリエンテーションを聞けただけでもう大満足!みたいな(笑)。オリエンテーションを聞きに来ている他の会社の人たちもそんな人しか来ていないから、Appleへの出入り業者同士でみんな仲良くなってしまいましたね。
スティーブ・ジョブズに傾倒する
佐藤:この頃のAppleは、スティーブ・ジョブズはすでにいなくなっていて、CEOがジョン・スカリーからマイケル・スピンドラーに代わる頃でした。僕は『MacWeek』を読みながらAppleの歴史的な経緯などを色々と勉強したのですが、次第にアップルの個人をエンパワーメントしようとする姿勢に強く惹かれていきました。この頃の僕はスティーブ・ジョブズ命でしたね。
佐藤:これは若気の至りで今考えるとそこまでのことではなかったと思うのですが、当時はAppleとMicrosoftがグラフィカルユーザインターフェース(Graphical User Interfaceの略。以下GUI)搭載のコンピューターの覇権を賭けて戦っている真っ最中で、Macの美しいGUIに比べるとWinsowsのGUIは見劣りがしているように見えて、個人的には製品の完成度はMacの方が圧倒的に高いと感じていました。
にも関わらず、WindowsとMacのシェアは8:2ほどで圧倒的な差があったので、本物のヒッピーがビジョンを掲げて世の中を変えていこうとしている時に、若い頃のナードな感じのビル・ゲイツが邪魔をしているように見えてしまって大嫌いでしたね(笑)。「アラン・ケイのGUIを正当に引き継いでるのはやっぱりスティーブ・ジョブズだ!ビル・ゲイツめ、見せかけのGUIを作りやがって!」といった感じでした(笑)。
左:1984年にMacintoshを発表するスティーブ・ジョブズ 出典:Steve Jobs and Macintosh computer, January 1984, by Bernard Gotfryd.tif is licensed under PDM 1.0 右:1977年に撮影されたビル・ゲイツ出典:Bill Gates mugshot.png is licensed under PDM 1.0
杓谷:ゼロックスのパロアルト研究所に勤めていたアラン・ケイが開発していたグラフィカルユーザインターフェース(GUI)を参考にしてスティーブ・ジョブズがMacを作ったのは有名な話ですよね。スティーブ・ジョブズは、「Stay hungry, stay foolish」の名言が生まれたスタンフォード大学のスピーチの中でも言及していましたが、大学中退後に潜り込んだカリグラフィー(文字を美しく見せるための手法。日本の書道に相当する)の講義を受講したことが、Macの美しいフォントとGUIにつながりました。
ゼロックスのパロアルト研究所でGUIを開発したアラン・ケイAlan Kay (3097597186).jpg is licensed under CC BY 2.0
パソコン通信「NIFTY-Serve」と「AOL」
佐藤:同じ頃、「NIFTY-Serve」を使ってパソコン通信を始めました。当時僕は中古のフランス車に乗っていたので、NIFTY-Serveのフランス車フォーラムに行くと、みんながワイパーの損傷だとか、オイルの交換などについてやりとりをしていました。そんな情報なんて雑誌などの他のメディアではどこにもなかったので、これは凄いなと思いました。自分のフランス車について困っていることをフォーラム内で相談すると、誰かが的確な答えを教えてくれるし、ニッチな話題も情報共有できるパソコン通信の面白さを強く感じました。
杓谷:私はパソコン通信自体を経験したことがないのでイメージしにくいのですが、インターネットはすべてのコンピューターがオープンなネットワークでつながっているのに対し、パソコン通信はクローズドなネットワーク内でコンピューターがつながっているというイメージですよね。ニフティが運営するクローズドなネットワークのひとつがNIFTY-Serveで、当時最も人気があったパソコン通信だったわけですね。
ニフティ株式会社の創立25周年記念プロジェクトとして期間限定で復活した「NIFTY-Serve」出典:INTERNET Watch「新「NIFTY-Serve」提供開始、昔のハンドルで“フォーラム”に出入り可能」(2012年5月24日付)
佐藤:「NIFTY-Serve」には通信に関する部屋もあって、そこでアメリカでは「AOL」(American Online)というパソコン通信が人気になっているという情報を入手しました。
AOLと接続できるローカルポイントが日本にもあって、通信キャリアのSprintがやっているという情報が載っていたんです。接続のための電話番号なども載っていたので「おっ!」と思ってすぐに丸善に行ってアメリカのPC雑誌のコーナーを見ると、スターターキットがついている雑誌があったので購入しました。家に帰ってすぐに適当なアメリカの住所を入れてアクセスポイントに行ってみると、もうAOLが使えるわけです。すごく興奮しましたし、面白かったですね。
メイルが到着した時の音声「You’ve got mail」は、後の1998年にトム・ハンクスとメグ・ライアン主演の映画『You’ve got a mail』が制作されるほどアメリカではポピュラーになりましたね。
Windows ‘95 に対応したAOL接続ソフト4.0を使って電話回線でAOLに接続している様子
アメリカでインターネットの商用利用が解禁に
アメリカでは、1991年3月にインターネットの商用利用が解禁されていました。
当時、ゴルフ練習場で友達がゴルフボールを打ちながら、「何か世界中繋がってるネットワークがあって、それ使って色んな取引等をやってる人達がいるみたいなんだよね」などと言っているのを聞いて「へ〜すごい事になってるんだなあ」と感心した覚えがあります。どうやってそんなことができるのか疑問でしたが、インターネットを知って、「あ、多分これのことだったのかな」と納得したものです。その後、NiftyServeが提携していたアメリカのパソコン通信CompuServe経由で接続できたので、あれこれ試していましたがそれ程利用してはいませんでした。
その後、ブラウザの「NCSA Mosaic」が登場すると状況は一変しました。ブラウザでテキストと一緒に画像が表示できるようになると、それでまた衝撃を受けましたね。社内で局長に、この画像データはフランスにあって、それを見に行っているんですよ。という説明をしてみんなに驚かれたりしていました。ただ、回線の速度やコンピューター自体の処理能力が低かったので、画像がすべて表示されるまでには相当時間がかかりましたね。この時から、これは大変なメディアになっていくだろうと確信めいた妄想を抱くようになりました。
NCSA Mosaicのスクリーンショット出典:NCSA Mosaic Browser Screenshot.png is licensed under PDM 1.0
1993年、雑誌『WIRED』がアメリカで創刊
その影響で、1993年に雑誌の『WIRED』がアメリカで創刊しました。『WIRED』という雑誌の名前自体も直訳すると「配線された」という意味で、インターネットでつながれた世界を前提にした社会を考察していく内容で、その内容に随分驚かされましたね。
早速英語版の創刊号を手に入れて読んでみると、まず目に飛び込んできたのが「@」という記号で、「このマークはなんて読むんだ?」なんて思ったりしました(笑)。この記号「@」がアットマークという名前であることも当時は一般に知られていなかったんです。
『WIRED』創刊号には当時マサチューセッツ工科大学メディアラボ(以下MITメディア・ラボ)の創設者、ニコラス・ネグロポンテの寄稿文が掲載されていました。その寄稿文で今でも鮮明に覚えているのは、「人々はテレビを有線で見て、電話を無線で行うようになる」とすでに明言していたことです。米国ではテレビを有線のケーブルテレビで見て、電話は携帯電話を使うようになったので、実際にその通りになりましたね。
1993年の『WIRED』創刊号の表紙出典:WIRED.com「The Original WIRED Manifesto」(2018年9月18日付)
社内のMacサポート担当のような存在になる
佐藤:こうした経験を通じて僕はコンピューター、とりわけMacに詳しくなっていったんですが、Macってすぐトラブルになるんですよ。Mac使っている人が社内中に結構いたから、Macにトラブルがあるとすぐに僕に連絡がきて、社内のMacサポート担当みたいな存在になっていました(笑)。「コマンドとシフトを同時に押して、リスタートしてみてください」とか言ったりして、周りから「パソコンオタク」って思われてましたね。
第6話に続きます。
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