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インターネット広告創世記

第36話:テレビもYouTubeも最初にスポンサーになったのは東芝という歴史が刻まれたYouTube広告の立ち上げ

杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第36話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。

前回の記事はこちらです。

杓谷:前回のお話では、YouTube登場前後のインターネットにおける動画広告の話を、高広伯彦さんと平山幸介さんからお聞きしました。YouTube広告の立ち上げをご担当されたお二人は、インターネット黎明期から動画広告に深く取り組まれていた先駆者だったんですね。

佐藤:当時のYouTubeの広告は、今のようなYouTube動画の間に動画広告が再生されるいわゆる「インストリーム広告」ではなく、「ブランドチャンネル」というスポンサーシップ型の広告で、広告主の特設ページをYouTube内に開設できるという広告商品でした。

高広:「ブランドチャンネル」以外には、今の「マストヘッド広告」の前身にあたる「トップページYVA」(YVAはYouTube Video Adsの略)と呼ばれるYouTubeのトップに表示される広告と、トップページ以下のページにランダムで広告が表示される「Run of Site」の2つがありました。

仮に広告枠を買い切れたとして、売り切ることができたのか

高広:当時はGoogleの日本支社とマウンテンビュー(サンフランシスコ近郊)にあるGoogle本社の距離が近かったので、僕らも日本から直接マウンテンビューのプロダクトマネージャーなどにコンタクトが取れて、どの時期にどんな広告商品がサービスを開始するかがある程度分かっていました。例えば、「Click-to-Play動画広告」という動画広告のサービスの開始は、本来の予定では日本は含まれていなかったのですが、僕らから依頼をして対象国に含めてもらうような交渉ができました。

杓谷:「Click-to-Play動画広告」は、今の「Google ディスプレイネットワーク」に掲載される動画形式の広告で、クリックすると動画が再生される広告サービスですね。

「Click-to-Play動画広告」のサンプル

出典:CNET Japan「グーグル、動画広告を開始–クリックで映像が再生」(2006年5月24日付け)

高広:こうした新しいフォーマットの広告や、YouTubeの広告について大手総合代理店に説明しにいくと、必ず「広告枠をすべて買い切らせてくれ」と言われました。結局使っている言葉がすべて新聞時代の言葉なんですね。もちろんそう言われるのは想定の範囲内ではあったのですが、インターネットの広告枠は物理的に買い切れるものではありません。仮に買い切れたとして、「これから爆発的にトラフィックが増加した時に売り切れるのかな?」といつも疑問に思っていました。

彼らの営業力をもってしてもそれは無理だろうと思いました。売り切れなくなると、結局は値下げをしてたたき売りみたいなことをせざるをえなくなるので誰も得をしません。そもそもインターネット広告に「買い切り」という発想は無理があったと思います。

「そんな海賊版サイトに広告なんて出せません」

高広:テレビや新聞など、従来のメディアの考え方では、メディアを持つ企業がコンテンツの制作と配信の両方を行っていますが、YouTubeではコンテンツはユーザーが制作するものとして、コンテンツの制作と配信が切り離されています。この点が従来のメディアの考え方と大きく異なるポイントだったと思います。こうしたメディアのことを米国では「UGC」(User Generated Contetents)、日本では「CGM」(Consumer Generated Media)と呼んでいます。

GoogleによるYouTubeの買収が発表された当時は、既に日本からもたくさんの動画がアップロードされていたのですが、著作権を無視した違法動画がほとんどだったので、海賊版の動画サイトだと思われていました。広告代理店からは「そんな海賊版サイトに広告なんて出せません」と言われてとにかく怒られました。

GoogleによるYouTubeの買収が発表された2006年10月のYouTube

出典:Internet Archive

高広:YouTubeがどのように広告で収益化をしているかを詳しく知る必要があったので、すでにMSNで動画広告に深く取り組んでいて、業界内でとても有名だった平山さんに声をかけてGoogleに入社していただきました。入社して2日後にはYouTubeの本社に行ってましたよね?

平山:佐藤さん、高広さんにお声がけいただき、僕は2007年9月にGoogleに入社しました。日本から本社の様子を聞くよりもYouTube本社に直接行ってしまった方が早いと考え、佐藤さんの許可を得て約3ヶ月間YouTube本社に出張しました。

Googleとは違う種類の遊び心が満載だったYouTube本社

平山:当時のYouTubeの本社は、サン・ブルーノにあるGAPの本社ビルを居抜きで利用した今の本社ビルの向かいにあった雑居ビルにありました。普通のインターホンにYouTubeのシールが小さく貼ってあって、かろうじてここがYouTubeのオフィスだと分かるような状態でした(笑)。

サン・ブルーノにある現在のYouTube本社

出典:901 Cherry Avenue.jpg is under CC BY-SA 4.0

まだGoogleが買収したばかりだったので、僕のすぐ側で創業者のスティーブ・チェンやチャド・ハーリーと、当時GoogleのCEOだったエリック・シュミットが引き継ぎをしたりしていて「うわー、すげえな」って思いましたね。創業者の二人はまだ26歳くらいだったと思います。

YouTubeの創業者のチャド・ハーリー(左)、スティーブ・チェン(中央)、ジョード・カリム(右)

出典:Youtube founders.jpg is under CC BY-SA 3.0

Googleはスタンフォード大学の博士課程の学生が作ったサービスなので、テクノロジーが中心にあって、研究者気質でスマートな雰囲気だったのですが、YouTubeの雰囲気は全然違っていて、スキンヘッドでタトゥーが入っているような人が普通に働いていたりしていました。オフィスにギターとギターアンプが置いてあって、「これ何? 弾いていいの?」とか言って一緒に弾いて遊んだりしましたが、そういう遊び心がいっぱいあるカルチャーだったんです。

YouTubeの本社でもGoogleと同様にTGIF(Thanks God It’s Fridayの略で、週の終わりの金曜に行われる簡単なパーティー)がありました。毎週人気のYouTuberをゲストに迎えてパーティーをしていたのですが、そのゲストYouTuberの歓迎の仕方がすごく良くて。めちゃくちゃYouTuberを大事にするんです。YouTubeの中心にあるカルチャーはコンテンツ愛なんです。「この人たちを僕らのメディア上で有名にしたい」という気持ちを強く感じましたね。

当時のYouTubeの主力広告商品は「ブランドチャンネル」

高広:冒頭で佐藤さんにお話いただいた通り、当時のYouTubeの広告は現在我々がスマートTVなどで目にする「インストリーム広告」のような運用型の動画広告ではなく、「ニューヨークファッションウィーク」などのイベントの特設ページを約1000万円ほどの広告商品としてYouTube上に作ることができるいわゆるスポンサーシップ広告で、「ブランドチャンネル」と呼ばれるものでした。

下の画像は、TOYOTAが発売した超小型車「iQ」の「ブランドチャンネル」です。当時こうした特設ページ系の広告商品はMSNなど他のウェブサービスでも多かったんです。

YouTubeに作られたTOYOTAの超小型車「iQ」のブランドチャンネル

出典:Internet Watch「YouTube活用の動画広告、トヨタやロッテに見る成功事例」(2009年7月17日付け)

TOYOTAの「iQ」のブランドチャンネルで使用されていた動画

Toyota IQ commercial

日本版「YouTubeネーション」開催の裏にあった広告代理店との駆け引き

高広:YouTubeは海賊版の動画サイトだと思われていたので、広告代理店はYouTubeの広告を積極的に売ってはくれないだろうと考えていました。したがって、Googleから直接広告主にアプローチする必要がありました。

YouTubeは米国で「YouTubeネーション」というイベントを毎年行っていました。人気のYouTube動画を作る「クリエイター」が一同に介するイベントだったのですが、当時は「YouTuber」という言葉がまだなかったので「クリエイター」という言葉を使っていました。ロングテール理論のヘッド(=頭)の部分がテレビだとしたら、検索がテール(=尻尾)で、その中間のトルソー(=胴体)にあたるのが「クリエイター」達が作るYouTube動画だと言われていました。

僕は、ニューヨークで行われた「YouTubeネーション」を視察し、このイベントの日本版を恵比寿LIQUIDROOM(リキッドルーム)で開催することにしました。そして、その参加者を広告主に限定したんです。僕らはみんなYouTubeを象徴する赤い色のネクタイを着て広告主の皆さまをお迎えしました。

広告業界の商習慣として、広告代理店はYouTubeのような媒体社(広告枠を提供する会社)が広告代理店を通さずに直接広告主にコンタクトすることをこころよくは思いません。イベントの翌日には広告代理店から「昨日YouTubeのイベントをやったらしいですね」という半分嫌味を含んだような連絡をたくさん受けたのですが、「昨日のイベントはYouTubeの世界観を体感していただくためのイベントで、広告の話は一切していません」と説明をして押し通しました。実際、広告商品についてはイベント内で一切説明はしなかったのですが、広告主の方と直接立ち話をしたりする際には当然広告の話にはなりますよね。当時YouTubeの広告を販売するためにはこうした微妙な駆け引きや配慮が必要だったのです。

平山:YouTubeは広告業界におけるキングオブメディアであるテレビにとても近かったのでかなり警戒されましたね。動画という時点で彼らの聖域を侵犯しているような見られ方をしていたので、「テレビを奪おうとしているわけではありません。ただの2chの動画版なんです」といった説明をよくしていました。「ユーザーが喜ぶのはやっぱり動画だよね」と好意的に解釈する人と、「テレビCMの領域を奪おうとしている」と解釈する人が鮮明に分かれましたね。

テレビもYouTubeも最初のスポンサーは東芝という歴史が生まれた

高広:広告代理店への配慮をしつつ、地道な営業活動を続けた結果、東芝が日本版YouTubeの最初の広告主になってくれました。

日本で1番最初にテレビCMを放送したのは時計メーカーのセイコーなんですが、日本で1番最初にテレビ番組のスポンサーになったのは東京芝浦電気、つまり東芝だったんです。こうした歴史的事実もあって、YouTubeの広告もスポンサーシップ型の広告だったので、ぜひ東芝に日本で最初にYouTubeの「ブランドチャンネル」を利用してほしいと思ってお話をして、実現にこぎつけることができました。こうして、テレビでもYouTubeでも、最初にスポンサーになった広告主は東芝、という歴史が刻まれたわけです。

下の画像は、その時東芝が開設した「東芝ノートPC」の「ブランドチャンネル」です。

出典:Internet Watch「YouTube日本版が広告配信テストを開始、東芝とリクルートが参加」(2007年11月27日付け)

YouTubeの広告はDoubleClickを使っていた

平山:YouTube本社に3ヶ月滞在して色々な人にYouTubeの広告について尋ねてようやくわかったのは、「トップページYVA」と「Run of Site」に配信する広告に関しては、DoubleClickのアドサーバーを使っていることでした。なので、サン・マテオのYouTube本社からDoubleClick本社があるニューヨークにさらに出張して、YouTubeの広告配信の仕組みを聞きにいくことになりました。結局は、広告の配信管理はエクセルで行うとてもアナログな方法だったのですが(苦笑)。

「トップページYVA」はインプレッション保証型の予約型広告だったのですが、1日ごとに広告枠を指定して買うことができました。当時の予約型ディスプレイ広告は1週間単位で販売することが一般的だったのですが、映画の公開日などに合わせて広告を配信したいというニーズが多かったので、1日単位での販売にこだわっていましたね。
高広:当時、Googleのニューヨークオフィスと米DoubleClickの本社は同じビルの1階違いだったんです。Googleも「Google Ad Manager」(現在の「Google Ad Manager」とは別物)というアドサーバー(第14話参照)を作ろうとしていたんですが、Googleで一から作るよりもDoubleClickを買収した方が早いということで買収に至ったのだと思います。

「Google Ad Manager」のベータ版公開に関するニュース記事

出典:Internet Watch「米Google、Web広告在庫管理サービス「Google Ad Manager」ベータテスト」(2008年3月14日付け)

YouTube用の動画を用意してもらうことにとても苦労した

高広:この頃広告営業するのは楽しかったですね。YouTubeのような新しい広告商品はほぼ新規事業みたいなものなので、みんながそれぞれのネットワークで広告主に直接話に行ったりしていましたね。

平山:権利関係など様々な事情でテレビで使った素材をそのままくださいというわけにはいかないので、YouTube用にクリエイティブを作っていただくのに随分苦労しましたね。また、動画の場合はバナー広告と違ってストーリーから考えないといけないので時間もかかりました。ダイキン工業様は動画にコメントを追加する「アノテーション機能」を使って別の動画に誘導し、最大18通りのストーリーがあるドラマを制作したりしました。
参考:週刊BCN「ダイキン工業、視聴者の選択肢で結末が変わるインタラクティブドラマをYouTubeで公開」(2010年11月24日付け)

ユーザーに動画をアップロードしてもうらうことが課題だった

平山:当時は今のようにYouTuberが多くなかったので、YouTubeに動画をアップロードしてもらうこと自体を啓蒙する必要がありました。2007年12月28日(金)~30日(日)の3日間、渋谷の109の前にYouTubeの動画をモチーフにしたステージを作って「YouTubeネタバトル」というイベントを開催しました。なぜか僕が司会をするはめになったのですが、その時の動画が下の動画です。当時人気だったパントマイムユニットの「が~まるちょば」さんなどにご登場いただきました。

《緊急告知!世界が君を待っている!!》:YouTubeネタバトル

《が~まるちょば》-1:YouTubeネタバトル

佐藤:2009年に放送されたロッテの「Fit’s」のテレビCMでは、俳優の佐藤健さんと佐々木希さんのダンスを真似して踊った一般の方の動画がたくさんYouTubeにアップロードされて大きな話題になりました。こうした事例を通じて、少しずつユーザーがYouTubeに動画をアップロードすることへの抵抗が小さくなっていったと思います。

佐藤健 佐々木希 CM ロッテ フィッツ Fit’s

YouTube広告が本格的に成長するのは運用型広告の「TrueView広告」(現「インストリーム広告」)が始まってからで、「YouTuber」という言葉が使われはじめた2014年頃のことになります。その時のYouTubeの様子についてはまた後ほど紹介したいと思いますので、次回からは再び時系列に戻ってお話していきたいと思います。

第37話に続きます。

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杓谷 匠

株式会社杓谷技術研究所 代表取締役。2008年に営業職の新卒一期生としてグーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。以降、広告主、代理店、広告プラットフォームなど様々な立場で15年以上Google広告の営業、運用、コンサルティング業務に携わる。2019年にGoogleからの紹介を受け、Google Marketing Platform の大手リセラーとして知られる英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画した後、2023年より現職。『いちばんやさしい"はじめての"Google広告の教本』の著者の一人。

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