杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第31話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。
前回の記事はこちらです。
杓谷:前回のお話では、グレーゾーン金利の撤廃とライブドアショックが加藤さんの日広に暗い影を落とし始めるところまでお話しました。そんな中、佐藤さんは2006年10月に当時のGoogleが毎年行っていた招待制のカンファレンス「Zeitgeist ’06」(以下「ザイトガイスト」)に加藤さんを招待しましたね。
佐藤:「ザイトガイスト」(Zeitgeist。ある時代を特徴づける思想や気分を意味する言葉で、日本語では「時代精神」と訳される。元々はドイツ語)は、世界中のCレベルのエグゼクティブ、起業家、科学者、アーティスト、政治家、スポーツ界のアイコンなど、各分野のトップリーダーや有識者が参加する招待制のカンファレンスで、当時のGoogleが考えていること、取り組んでいることを伝える場でした。
「Google=インターネット」と言えた時期
佐藤:この時期のGoogleは、2004年8月の上場(第25話)をきっかけに投資のスピードを拡大していました。代表的な例では、2004年10月に「Keyhole」(現在の「Google Earth」「Google Map」)、2005年4月に「Urchin」(現在の「Google Analytics」)、5月にGeneral Magic出身のアンディ・ルービンが開発していた「Android」を買収しましたが、この時期に買収した企業が現在のGoogleの核となっていると言って良いと思います。「Android」についてはこの連載の中で後ほど詳しく触れていきたいと思います。

2008年に日本で開催された「Google Developer Day」に登壇したアンディ・ルービン
2008 Google Developer Day in Japan – Andy Rubin (cropped).jpg is under CC BY-SA 2.0
ビジネス系のイベントでGoogleのプレゼンターが登壇する際に「Google Earth」のデモから始めていたのですが、堅苦しい雰囲気の会場が一瞬にしてコンサート会場のようなどよめきと歓声に包まれていく様子は今でも忘れられません。Googleの検索エンジンのクローラーが世界中のウェブサイトをクローリングできていましたし、Googleで検索できないと見つけようが殆どがないので、世の中に存在していないにほぼ等しいとされ、この時期は「Google=インターネット」だったと言っても過言ではなかったと思います。

Googleに買収される前の2003年12月頃のKeyholeのウェブサイト
杓谷:「Keyhole」は後の「Google Earth」「Google Map」として有名ですが、インターネット広告の観点でいくと、Google広告の地域ターゲティングにも応用されていますね。

Google に買収される前の2005年頃の「Urchin 5」の管理画面
出典:Internet Watch「プロトン、高速Web解析ツール『Urchin 5』発売」
衝撃の大容量で登場した「Gmail」
佐藤:2001年にGoogleに入社したばかりの頃、Googleのホームページのレイアウトを変えるという話がありました。当時の日本の広告業界の商習慣では、レイアウトを変更する際は1ヶ月前に広告主に告知することが一般的だったので、本社に1ヶ月待つように伝えたのですが聞き入れられませんでした。入社したばかりでしたし、向こうから白い目で見られても仕方がないので、この時は僕が折れた形になりました。
このように、僕は入社当初は本社の意向といえど、日本の商習慣に合わせるような意見を本社によく伝えていたので、本社からはちょっとした抵抗勢力みたいに見られていたと思います。こうした考えを改めるようになったきっかけのひとつが、2004年4月1日にサービスを開始した「Gmail」です。「AdSense」が日本でサービスを開始した年と同年の出来事です(第27話参照)。
たしか、その前年の2003年のことだったと思うのですが、Google本社でプロダクトを統括していたマリッサ・メイヤーが来日した際に「ウェブメールを始めようと思うんだけど、どう思う?」と訊かれました。当時はマイクロソフトの「hotmail」やYahoo! JAPANの「Yahoo! メール」が人気だったので、「Googleがやる必要はないんじゃない?」と答えたのですが、しばらくして社内限定のβ版(サービス開始前のテスト版)が登場したので使ってみると、とても驚きました。

Googleの元Vice President(検索製品およびユーザーエクスペリエンス担当)を務めたマリッサ・メイヤー。後に米Yahoo!のCEOを務める。出典:Marissa Mayer, 2011 Interview (crop).jpg is under CC BY-SA 3.0
スレッド形式のUIが使いやすかったのはもちろんのこと、JavaScriptを使って従来のウェブメールとは比較にならないほどサクサクと動き、メールや添付ファイルを保存できる容量が1GBだったことに大きな衝撃を受けました。当時は「hotmail」の保存容量が2MB、「Yahoo! メール」の保存容量が25MBという時代で、1GBは破格の大容量でした。招待制だったことと、サービスを開始した日が4月1日だったこともあり、「エイプリルフールのジョークなんじゃないか?」と思われたほどでした。

初期のGmailのユーザーインターフェイス
出典:Internet Watch「第7回:「Web 2.0」を理解するための、たった2つのポイント」(2006年3月付け)
佐藤:「20VC」というベンチャーキャピタルファンドのポッドキャストで、Gmailを開発したポール・ブックハイト(Paul Buchheit。Googleの23番目の社員)が当時の様子をポッドキャストで語っています。彼は、「Google が掲げる 10 の事実」の中の「Don’t be evil」(邪悪になるな)を発案した人でもあります。

Gmailを開発したポール・ブックハイト
出典:Paul Buchheit.jpg is under CC BY 2.0
杓谷:「Don’t be evil」は、日本語では「6. 悪事を働かなくてもお金は稼げる。」として紹介されていますが、これは当時様々な企業を買収して独占を強めていくMicrosoftの姿勢を強く意識していたとも言われていますね。
このポッドキャストの内容を記事にしているページをいくつか発見したので、引用いたします。Gmailは、前述のKeyhole、Urchin、Androidのような買収した会社のサービスではなく、Googleの社内で開発したプロダクトであることが特徴です。
“すでに既存プレイヤーがいる分野は一見するとすごく大変。Gmailの時もすでにHotmailやYahoo Mailが先行していた。ラリー・ペイジにメールシステムを作ってくれと言われた時も「マイクロソフトなんて数百人がメールシステム作ってるんだよ?マジで?」と答えた。そしたら「だから勝てるんだよ!」だって(笑)”
出典:カタパルトスープレックス「GoogleでGmailを作り、Facebookの「いいね」を作ったポール・ブックハイトが語るスタートアップ」
個人的には、Gmailの保存容量が1GBになったのは先行する他社のサービスを意識したわけではなく、Googleが持つ検索エンジンとしての強みを活かすために容量が1GBになったという点に驚きました。ただ、このユーザーひとりあたり1GBという容量を確保するのが大変だったようですね。2004年に公開されてから長らく招待制のβ版が続き、一般公開されたのは2007年と比較的時間がかかったのはこうした背景もあったかもしれません。
“ブックハイト氏は当時の様子を「他の人が『どうせサービスをローンチできっこない』と思っているからマシンを準備できない。そして私たちは『マシンがないからローンチできない』という、にっちもさっちもいかない状況に陥っていました」と振り返ります。
最終的に開発チームが活用したのが、古すぎて誰も使っておらず、社内に転がっていた300台のPentium III搭載マシンでした。マシンをセットアップし、なんとか4月1日にサービスは開始されることに。それでも、限られた人数に対して提供されるベータテストには必要十分なものだったそうです。”
出典:GIGAZINE 「サービス開始から10年を迎えたGmailの開発秘話や現在、そして今後の課題など」
佐藤:「AdWords」「AdSense」の成功に加えて、この「Gmail」の完成度を見て僕は、Googleは既にあるものの価値を高い技術力と独創的な発想で、信じられないレベルへ昇華させることを本気でやっている人たちの集まりだと認識し、「本社の意向はそのまま信じよう」と考え方が変わっていきました。またこの時、マリッサはプロダクトに関しては競合がなにをしているかなどあまり気にかけず、「ただユーザーを見るだけ」と言っていたのがとても印象的でした。
加藤:この頃のGoogleはまさに飛ぶ鳥を落とすような勢いでした。まさにGoogleの黄金期の始まりという時期に、佐藤さんにGoogle本社で開催された「ザイトガイスト」にご招待いただきました。インターネットの新時代の幕開けを感じる革命的なイベントでした。
2006年10月4~5日に開催された「ザイトガイスト」
加藤:下の画像は日本人向けに作られた「ザイトガイスト」のパンフレットです。カンファレンス自体は2006年10月4日と5日の2日間にわたって行われました。

杓谷:主催者はこの連載に度々登場した佐藤さんの上司にあたるオーミッド・コーデスタニですね。
佐藤:日本からは、AdWordsをご利用いただいている大手広告主や、広告代理店、検索パートナーの方々をご招待しました。下の画像の右上に加藤さんのお名前があります。

出席者のリストに加藤さんと日広のお名前があることが確認できる
出典:2006年「ザイトガイスト」のパンフレット(加藤さん所蔵)
加藤:イベントのスケジュールの記載もあります。


カンファレンス自体は2006年10月4~5日に行われた
出典:2006年「ザイトガイスト」のパンフレット(加藤さん所蔵)
「ザイトガイスト」に登壇した錚々たる顔ぶれ
加藤:このイベントには、当時GoogleのCEOを務めていたエリック・シュミットや、創業者のラリー・ペイジ、サーゲイ・ブリンはもちろんのこと、ビル・クリントン政権下の副大統領で、情報スーパーハイウェイ構想でインターネットの普及に重要な役割を果たしたアル・ゴアや、湾岸戦争で米軍の指揮を取り、ジョージ・W・ブッシュ政権で米国務長官を務めたコリン・パウエルなど、錚々たる面々が登壇しました。
- エリック・シュミット Google CEO(当時)
- ラリー・ページ Google創業者
- サーゲイ・ブリン Google創業者
- オーミッド・コーデスタニ Google 上級副社長
- アル・ゴア 元米副大統領
- コリン・パウエル 元米国務長官
- ジェームズ・B・ガービン NASA ゴダード宇宙飛行センター 主任研究員
- ヌール・アル=フセイン ヨルダン王妃(当時)
- マーティン・ソレル卿 広告代理店WPPグループCEO
- フェルナンド・ローズ・ビラ 広告代理店Havas CEO
- マイケル・デル Dell創業者
- ウィル・ライト ゲーム「SimCity」開発者
- カミー・ダナウェイ 米Yahoo! CMO
- アンドリュー・ハウス SONY CMO
- エドワード・ザンダー モトローラーCEO
- マーク・ザッカーバーグ Facebook(現Meta)創業者

Google CEOのエリック・シュミット(右下)。博士号を持っているので敬称はDr.。
出典:2006年「ザイトガイスト」のパンフレット(加藤さん所蔵)

Google創業者のラリー・ページ(左上)とコリン・パウエル陸軍大将(右)
出典:2006年「ザイトガイスト」のパンフレット(加藤さん所蔵)
佐藤:イベントでは、Google CEOのエリック・シュミットとコリン・パウエル元米国務長官が対談し、危機的な状況においてもぶれないリーダーシップをテーマに語っていたと記憶していますが、パウエルさんが登場した時に登壇者と聴衆の全員が起立し、敬礼をしたことをよく覚えています。出席した当時の肩書は「General」(陸軍大将)でした。
出典:2006年「ザイトガイスト」のパンフレット(加藤さん所蔵)

アル・ゴア元米副大統領(左上)
出典:2006年「ザイトガイスト」のパンフレット(加藤さん所蔵)
杓谷:民主党政権のクリントン大統領時代に米副大統領を務めていたアル・ゴアの情報スーパーハイウェイ構想の推進がインターネットが世界的に普及するきっかけになったという歴史的経緯もあり、シリコンバレーは民主党寄りと言われていますね。
弱冠22歳のマーク・ザッカーバーグが登場
加藤:登壇者の中で特に印象が残っているのがFacebook創業者のマーク・ザッカーバーグです。当時22歳の大学生だったと思います。
杓谷:マーク・ザッカーバーグは1984年生まれで私と同い年なので、確かに22歳の年ですね。

Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグ(右上)
出典:2006年「ザイトガイスト」のパンフレット(加藤さん所蔵)
加藤:マーク・ザッカーバーグはとにかく若くて、体格も細く、頬に赤みが残る、言ってしまえばまだ子どものような風貌だったことをよく覚えています。この「ザイトガイスト」は2006年の10月に開催されましたが、Facebookはその前月の9月に正式版になったばかりでした。Facebookはそれまでずっとベータ版の限定公開で、招待された人しかトップページ以降は見られなかったんです。佐藤:Facebookが実名制で登場したことに僕もとても驚きました。Facebookがインターネット広告に与えた影響はとても大きいので、この連載の中で後ほど深く触れたいと思います。
Facebookは実名制というサービスの特性上クローズドなネットワークだったので、Googleの検索エンジンのクローラーを受け入れていませんでした。そのため、Googleが感知できない領域がインターネット空間に出現しました。冒頭で申し上げた「Google=インターネット」という構図が成り立たなくなってきたわけです。Facebookが普及するにつれて、その領域はますます大きくなり、インターネット上で大きな存在感を放つようになっていきました。
杓谷:マーク・ザッカーバーグの左側にはモトローラのCEOのエドワード・ザンガーが映っていますね。この5年後の2011年にGoogleはモトローラを買収していますね。主にスマートフォン関連の特許の取得が理由だと言われています。Googleとモトローラは、この頃から2005年に買収したAndroidを搭載したスマートフォンの開発に取り組んでいたのだと思います。
参考:ケータイ Watch:「グーグル、モトローラ・モビリティを買収」
マーティン・ソレル卿との再会
杓谷:「ザイトガイスト」にはWPPのマーティン・ソレル卿(第29話参照)も参加していますね。
加藤:「ザイトガイスト」の開催中に、会場のすぐ近くでWPPグループの幹部の集まりがあって、僕も呼ばれたんです。「今回、Google Japanのツアーで来てるからそれを抜けて行くのは失礼にあたるんで」と言って断ったんですけど、オグルヴィのCEOだったマイルズ・ヤングに「幹部がみんな来てるから参加してくれ」と言われて出席することになりました。心のなかで「またマーティン・ソレル卿を見ちゃったよ」と思いながら僕はとりあえず出席だけして、一言も喋らないで帰りました(笑)。これが僕が彼にお会いした最後でした。

WPPのCEO マーティン・ソレル卿(左上)
出典:2006年「ザイトガイスト」のパンフレット(加藤さん所蔵)
YouTubeの買収の電撃発表
加藤:僕がこの「ザイトガイスト」が今でも記憶に残っている理由は、最終日にYouTubeの買収が電撃的に発表されたからです。
エリック・シュミットに紹介されて、金髪で七三分けの髪型、というか八二と言ってもいいと思うんですけど、若いチャド・ハーリーと、台湾系のスティーブ・チェンがステージに上った時の様子をよく覚えています。ただ、この時のエリックの紹介では、「彼らはいま西海岸のガレージで動画のストリーミング配信サービスをやってるんだ」みたいな感じで買収の話をおくびにも出さないんです。実際、彼らはパンフレットの出席者名簿にも載っていませんでした。

2007年に開催された「All Things Digital」に登壇するスティーブ・チェン(左)
とチャド・ハーリー(右)
出典:Walt Mossberg, Steve Chen and Chad Hurley is under CC BY-SA 2.0
(撮影者:伊藤穰一)
佐藤:僕の記憶だと、加藤さんたちとホテルまでバスで一緒に移動したじゃないですか。そのバスの移動中に参加者だけにYouTubeの買収発表があって、乗り合わせた人たちみんなで「え〜っ!?」って驚いたと記憶しています。Googleは、この4日後の10月9日に正式にYouTubeを買収したことを発表しました。買収金額は当時のレートで約2000億円の16.5億ドルで、YouTubeにつけられた値段の高さが大きな話題になりました。
下の動画は、チャド・ハーリーとスティーブ・チェンが、Googleに買収された直後に買収されたことを報告したYouTubeの動画です。

A Message From Chad and Steve
参考:Google To Acquire YouTube for $1.65 Billion in Stock
加藤:今あらためて振り返ってみると、この時佐藤さんにご招待いただいた「ザイトガイスト」は、インターネット、そしてインターネット広告の歴史における大きな転換点だったと強く感じます。
そして、この「ザイトガイスト」に出席した後、グレーゾーン金利の撤廃とライブドアショックの影響で苦しくなりはじめていた日広の経営がいよいよ厳しくなっていったんです。
第32話に続きます。