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インターネット広告創世記

第28話:Maxさんが始めた広告の「運用」とインターネット専業広告代理店の躍進

杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第28話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。

前回の記事はこちらです。

杓谷:前回のお話では、「Googleニュース」のサービス開始にも大きな影響を与えた「AdSense」のサービス開始について振り返りました。検索連動型広告に加えて、ディスプレイ広告市場にもGoogleが進出していくことになりましたね。

佐藤:Googleの「AdWords」や、Overtureの「スポンサードサーチ」を中心とする検索連動型広告と、運用型ディスプレイ広告の「AdSense」が登場したことで、インターネット広告の市場規模が爆発的に成長していきました。その結果、インターネット広告をうまく「運用」できるインターネット専業広告代理店の価値が高まっていきました。

Maxさんが始めた「Maximize」が広告の「運用」の始まり

佐藤:当時のGoogleには「マキシマイザー」(Maximizer)という職種がありました。この職種名は、広告の効果を「マキシマイズ」(Maximize=最大化)することが仕事だったという理由でもあるのですが、実はGoogle創業者のラリー・ペイジ、サーゲイ・ブリンのスタンフォード大学時代のクラスメイトのマックス(Max Erdstein)にちなんでつけられた名前でもありました。マックスは、サンフランシスコにある鈴木大拙記念館に通うほどの日本好きで、東洋哲学に傾倒していました。見た目も、同じく東洋哲学に傾倒していたスティーブ・ジョブズに通じるものがあり、ほんわかとした不思議な雰囲気を持つ方でした。

彼はもともと「プレミアム・スポンサーシップ広告」(以下プレミアム広告)の広告の出稿管理をしていたのですが、「ここを変えたらもっとクリックされるんじゃないか」と、広告文を勝手に変えて配信していたらしいんです(笑)。営業の立場からするとちょっと困ってしまいますが、クリック率がすごく高くなって米国本社で大評判になっていたそうです。このマックスがきっかけになって、検索語句と広告文の関連性を高めて広告のクリック率をあげる「Mazimizer」というチームができました。そのチームが米国でとてもうまく機能したので、日本でもやらないかと言われてチームを作ることになりました。これが広告を「運用」するという概念の始まりだったと思います。それまでのインターネット広告は雑誌の広告と同じで、ある意味で掲載されたら終わりです。広告を「運用」するという概念はありませんでした。

杓谷:現在のGoogle広告には「P-MAX」キャンペーンや、「AI Max for Search campaigns」など、「Max」という名前が入った機能がいくつかありますが、このエピソードを聞いてからこの名前を見返すとまた違った趣きが出てきますね。現在、Google広告を始めとするオークション型の広告は、電通の調査レポート『日本の広告費』において「運用型広告」という名前で分類されています。
佐藤:特にAdWordsは品質スコア(現「広告の品質」)の概念があるので、クリック率を高めることはクリック単価を安く抑えることにもつながります。広告を「運用」して広告の効果を「マキシマイズ」することは費用対効果の観点からとても重要でした。その結果、大企業、中小企業の双方から、「運用」の経験やノウハウを豊富に持つ広告代理店が強く求められるようになっていったのです。

「広告のロングテール市場」に特化した広告代理店の台頭

杓谷:まずは中小企業向けの広告代理店の様子から見ていきたいと思います。

第24話で、GoogleとOvertureが最低入札価格を下げたことで中小企業を中心とした「広告のロングテール市場」が創出されたことをご紹介しました。この「広告のロングテール市場」に特化したインターネット専業広告代理店の一つが、株式会社キーワードマーケティングです。創業者の滝井秀典さんに当時のお話を伺いました。滝井さんはこの連載のお問い合わせフォームから情報提供を申し出ていただきました。

滝井:はじめまして、株式会社キーワードマーケティング創業者の滝井秀典と申します。僕が20代だった頃の1990年代は、紙媒体が中心の、ものすごくオールドスタイルな広告代理店に在籍していました。

チラシの申込用紙の色で計測した”コンバージョン”

滝井:1990年代の不動産業界は大規模開発がたくさんあって、ものすごく大きな敷地に何百戸もの宅地や建物を売るわけですが、そのマーケティングを年間10億規模の予算をかけてやっていました。マーケティングといっても実際にやるのは地道なチラシのポスティングとか地域紙向けの広告です。たまにテレビCMなどもやりましたが、そちらはあまり主力ではありませんでした。

土地や物件の事前情報開示のための「友の会」への入会者をチラシを配って集めるのですが、参加者がどこから来たのかを判別するために、地域ごとにチラシの申込用紙の色を変えて「黄色は八王子から来た人」といったように変えていたんです。申込用紙の色を頼りにどの地域のどの広告でどれだけ入会者が集まったかを、当時はExcelではなくIBMの表計算ソフト「Lotus 1-2-3」に入れて集計していました。僕の周りの人達はそういう細かい集計をすごく嫌がっていたのですが、僕だけは苦じゃなくて、結構楽しかったんです。

杓谷:その色分けは、インターネット広告で言うとコンバージョン計測タグみたいなものですね。
滝井:一週間くらいかけて地道に集計して、地域ごと、広告媒体ごとに申し込みの単価や費用対効果を出したりするのが面白かったんです。インターネット広告で言うコンバージョン単価、ROASみたいなものですね。僕以外の周りにそういう集計作業を面白がる人がいなかったので、「俺って変なやつなのかな?」って思ってたんですけど、クライアントには結構重宝されてありがたがられました。「これって俺にとって向いてる仕事なんだな」って感じたのが実は原体験なんです。

コンバージョンが自動で計測できることに感動したAdWordsとの出会い

滝井:その後、僕はその広告代理店を辞めて上場を目指すベンチャー企業にいたのですが、ITバブル崩壊のあおりを受けてつぶれてしまったんです。ちょうど30歳だったのですが、途方に暮れてしまいましたね。ただ、少しずつインターネット人口が増えつつあった頃だったので、ペット系のECサイトを立ち上げて独立したんです。その時、本当にたまたまなんですが、Googleが出てきて、どうやら検索順位を上げる仕事があるらしいって聞いたんです。

杓谷:今のSEOのことですね。

滝井:当時は「そんなのあるんだ」くらいに思ってたんですけど、2002年ぐらいからGoogleが少しずつ使われ始めてきて、どうやらAdWordsという広告があるらしい。AdWordsで広告を出すとYahoo! JAPANにも広告が出てすごく集客できるって聞いたんです。仕事仲間にECサイトを運営している方がいたので、試しにそこでやってみるかということで始めたのが僕の検索広告との出会いでした。

インターネット人口は今よりも圧倒的に少なかったのですが、クリック単価が7円程度と、とても安かったので効率が良く、月に20万円使っても回収できるだけのお問い合わせと購入がありました。

そして、コンバージョンタグさえ設置すれば、管理画面でキーワードごとにコンバージョン数やコンバージョン単価が自動的に計算されることに本当にびっくりしたんです。広告代理店で人件費を考えたら何十万円分もかけて集計作業をしていただけに、「これがタダでいいんだ!」ってとても感動しました(笑)。

「キーワードマーケティング研究所」で中小企業を支援

滝井:AdWordsのおかげでECサイトの売上も利益も順調に伸びていたのですが、それ以外のこともやりたいと思って、今で言うM&Aで売却しました。当時はM&Aという言葉は一般的ではなく「サイト売却」という言葉だったのですが、今のように仲介サービスもなかったので『アントレ』というリクルートの雑誌に広告を出してみました。2社から問い合わせがあって、そのうちの1社に売却をすることができました。売却と言っても600万円ほどの規模感でしたが、当時の僕にとっては大金でした。この資金を元に、検索連動型広告という素晴らしい仕組みを世の中に知らしめる会社を作ろうと思って設立したのが「キーワードマーケティング研究所」で、今の株式会社キーワードマーケティングの前身です。

20代の時にいた広告代理店はクライアントが超大企業だったんですが、超大企業とやり取りをする大変さもよく味わっていたので、「中小企業を応援したいんだ!」という思いがありました。そのため、実は一番最初は「ニッチマーケティング研究所」という名前だったのですが、「ニッチマーケティング」って電話ですごい言いにくいし、伝わりにくいってことが分かったんです。「ニッキですか?」って何度も聞き返されてしまって、これはまずいと思って社名をキーワードマーケティングに変更しました(笑)。

僕自身が事業主として広告を出して成功してきたということもありましたし、広告代理店の大変さも理解していたので、事業主が直接広告を出稿する、今で言うインハウス運用を広めたいというちょっとした反骨精神みたいな想いがありました。なので、キーワードマーケティング研究所は運用代行ではなくコンサルティング会社という位置づけにしました。

当時はウェブサイト自体がないお客様ばかりでした。まずはホームページがないと検索広告も出せません。自分でホームページを作れるマニュアルのようなガイドを2万円で売って、「ホームページの作り方」というキーワードで検索広告を出稿したんです。創業したばかりで大して予算はなかったんですけど、月に300万円くらいかけました。下の画像は、当時のガイドを元にして販売した書籍です。

当時のマニュアルを元にした滝井さんの書籍

https://x.gd/LQGDB

杓谷:ということはそのマニュアルは売れたんですね?

滝井:売れました。ただ、翌年の2005年頃になるとクリック単価も何十円、高い時は100円とかに高騰して採算が合わなくなってきていました。ただ、ホームページを作りたいという中小企業の経営者のリストがたくさん獲得できたので、そこから800社くらいがクライアントになって、全部電話とメールだけでコンサルしていました。

ウェブサイトで何を売っているかをきちんと書いて、買うべき理由を説明し、お問い合わせフォームさえ設置しておけば、あとは関連するキーワードで検索広告さえ出していれば注文が来るよ、というメソッドを勧めていたのですが、実際注文があったのでクライアントからはとても好評でした。

杓谷:メールと電話でコンサルしていたというのは、電話でここを操作してくださいとかそういうことですか?

滝井:その通りです。「このソフトの場合は、このボタン押してください」みたいな感じです。FTPソフトを使って画像ファイルをサーバーにアップロードしていたのですが、同じソフトを使えば電話の向こう側でも同じことができます。「このFTPソフトのアップって言うボタンを押してください」ってよく言ってましたね。結局コンサルと言っても、実質的にウェブサイトを作成していたのは僕なんですけどね(苦笑)。下の画像は、当時のセミナーで使用していた資料です。

杓谷:Overtureのスポンサードサーチの管理画面は、今となってはとても貴重ですね。

滝井さんが当時のセミナーで使用していたOvertureの管理画面に関する解説スライド

(株式会社キーワードマーケティング様提供)

インターネット専業広告代理店と大手総合広告代理店の業務資本提携

杓谷:このように、中小企業を専門にした新たな広告代理店が登場する一方で、大手企業向けには、1990年代から活動を続けていたインターネット専業広告代理店と大手総合広告代理店との業務資本提携が進みました。電通グループはオプト、博報堂グループはアイレップと業務資本提携が進む中で、本連載でたびたび登場していただいている加藤さんの日広は、なんと世界で最も大きな広告会社WPPグループの広告代理店オグルヴィと業務提携し、合弁会社運営をすることになりました。

第29話に続きます。

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杓谷 匠

株式会社杓谷技術研究所 代表取締役。2008年に営業職の新卒一期生としてグーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。以降、広告主、代理店、広告プラットフォームなど様々な立場で15年以上Google広告の営業、運用、コンサルティング業務に携わる。2019年にGoogleからの紹介を受け、Google Marketing Platform の大手リセラーとして知られる英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画した後、2023年より現職。『いちばんやさしい"はじめての"Google広告の教本』の著者の一人。

  1. 第54話(最終話):AIという前例なき時代に必要なのは「教育」ではなく「学び」である

  2. 第53話:インターネット広告の今後の行方はAIに「愛」が実装できるかが鍵に

  3. 第52話:2021年インターネット広告費がマスコミ四媒体(テレビ・新聞・雑誌・ラジオ)の広告費を追い抜く

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