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インターネット広告創世記

第21話:「GoTo.com」がB2Bに舵を切って設立した「Overture」の華々しい船出

杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第21話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。

前回の記事はこちらです。

杓谷:2002年9月、Googleの「プレミアム・スポンサーシップ広告」(以下「プレミアム広告」)と並行する形で、現在のGoogle 広告に通じる「Google AdWords」が日本で本格的にサービスを開始しました。そして、同年12月に同じく検索連動型広告のサービスを提供するOvertureの「スポンサードサーチ」が日本市場で本格的にサービスを開始しますね。

佐藤:Overtureについては、Overtureの日本法人の初期メンバーで、後にGoogleに移籍することにもなった、アタラ株式会社代表の杉原剛さんに当時の様子を聞くと理解が進むと思います。

杉原:ご紹介にあずかりました、アタラ株式会社の杉原剛です。僕はOvertureの前はIntelに在籍していたのですが、その頃に初めて佐藤さんにお会いしました。

佐藤さんと出会うきっかけになった「Intel Inside」プログラム

杉原:僕は、Intel時代に「Intel Inside」というマーケティングプログラムを担当していました。

IntelのプロセッサをPCメーカーであるNECや富士通が、何十万、何百万単位で買っていくのですが、普通のメーカーであれば大量発注の見返りにディスカウントをします。しかしIntelでは、代わりにディスカウントと同じような金額を「Market Development Fund」(以下「MDF」。市場開発基金。)として個社ごとに貯金しておくんです。

NECや富士通がテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などにIntelのロゴを入れてパソコンの広告を出稿すると、媒体費の一部をこの「MDF」から出す、という仕組みです。競合のAMDとの競争が熾烈になり始めた頃だったのですが、この「MDF」のおかげでIntel自身は広告宣伝費をさほど使わずに自社ブランドを訴求できました。世界的にも非常に珍しく、とても賢いマーケティングプログラムだったんです。

東芝の「dynabook」のCMの冒頭で表示される「Intel Inside」のロゴ

Intel Inside Toshiba Dynabook Commercial (1998)

杉原:僕はこの「MDF」のインターネット広告媒体担当になりました。インターネット広告の場合は、3Dコンテンツを掲載したパブリッシャーのサイトで、かつ、Intelが審査して承認された場合にのみ、Intelロゴの入ったメーカーのバナー広告を掲載できる、という条件をつけていました。3Dはプロセッサのパワーを必要とします。そういったコンテンツがウェブでも増えれば、新しいインテルのプロセッサが搭載された処理能力の高いパソコンの需要が高まり、結果的にインテルの売上が増えるだろうという目論見でした。

インターネット広告の媒体費の一部を支払うことができるということで、インターネット広告を試してみたい広告主にとってとても魅力的でしたし、パブリッシャーも収益化につながるので前向きでした。Yahoo! JAPAN、日本経済新聞社、毎日新聞社、ぴあなどを回ってこのプログラムへの参加を打診する中で、Infoseek Japanの佐藤さんに出会いました。1998年頃のことだったと思います。佐藤:この時に、第4話で登場した氏家さんに頼んで作ってもらった3DのCGが、第13話でお話した「サチオくん」です。

Infoseek Japan のフッターに掲載されている「サチオくん」

出典:INTERNET Watch「infoseek JAPANが11月24日リニューアル」(1998年11月10日付)

シカゴの展示会で立ち寄った「GoTo.com」のブース

杉原:その後、僕は2000年にIntelを退職したのですが、有給消化中にアメリカ1周旅行をしていて、初めてシカゴを訪問しました。当時はインターネットに関する展示会がアメリカの様々な都市で開催されていて、前から行ってみたいと思っていた展示会がシカゴで開催されていたからです。この展示会にGoTo.comがブースを出展していました。このGoTo.comが、Overtureの前身だったんです。これが僕のGoTo.com、Overtureとの最初の出会いでした。

杉原さんがブースに訪れた2000年のGoTo.comのウェブサイト

出典:Internet Archive

杉原:僕は、この時点ではGoTo.comのサービス自体はよく知らなかったのですが、ブースで説明を受けているうちに、どうやら検索エンジンを開発している会社らしいということがわかりました。一番の衝撃は、その検索エンジンのサービスは有料だという点でした。当時の検索エンジンはすべて無料で提供されていたので、その料金は一体誰が払うのか検討もつきませんでした。

この時すでに、検索結果の右側に検索連動型広告が表示されていたと思います。クリック単価を表示できるオプションがあって、25¢といった金額が広告の横に表示されていて、衝撃を受けました。その場ではサービス自体の全体像はわからなかったのですが、なんとなく変わったことをやっている会社だなと印象に残りました。

検索結果に広告を差し込む「Paid Inclusion」

佐藤:第13話で加藤さんからも紹介がありましたが、GoTo.comは1997年にIdealabというインキュベーターを運営していたビル・グロスが創業しました。アメリカではGoTo.comはとても有名で、僕が在籍していたInfoseekを買収してウォルト・ディズニー・グループが作ったGo.comは、GoTo.comを強く意識していました。名前もよく似ていますよね。第16話でも話しましたが、Go.comはGoTo.comにロゴやサービスが似ているということで訴訟を起こされ、サービスを停止する事態に追い込まれました。

当時、GoTo.comは検索結果の自然検索の中に広告を差し込むことができる「Paid Inclusion」というサービスを提供していました。検索結果のリンクの間に広告枠があり、広告費を支払うと自社のリンクを表示させることができたんです。お金で検索結果を買えてしまうということで、Infoseekのエンジニア達は毛嫌いしていましたが、当時の検索エンジンのクローリング頻度は低かったので、むしろ「Paid Inclusion」の方が最新の情報を検索結果に掲載でき、広告主からのニーズはあったのだと思います。Infoseek本社の経営陣が来日した時に、GoTo.comを真似て「Paid Inclusion」の導入に関する意見を聞いてきたことを覚えています。

Googleは、創業者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンがGoogleの検索エンジンの技術に関する論文で、検索結果をお金で買えてしまうとオープンな情報の流通を阻害する可能性があるということで、検索結果は広告から中立であるべきだという考えでした。

「GoTo.com」がB2Bに舵を切って「Overture」を設立

杉原:GoTo.comは、最初はBtoC向けの検索エンジン、ポータルサイトとしてサービスを展開していましたが、AOLがタイム・ワーナーと提携したり、Infoseekをディズニーが買収したりするなど、既存の大手メディアがポータルサイトの運営に乗り出す中で、このままでは太刀打ちできないと考えたのだと思います。ポータルサイトとしてユーザーを増やしていくには広告宣伝費がかかりすぎると判断したのでしょう。GoTo.comで培ってきた検索連動型広告の技術をAOLなどのポータルサイトに販売するBtoB路線に舵を切り、2001年10月にOverture Services, Incを設立しました。

2001年11月のOverture

出典:Internet Archive

杉原:当時のOverture本社のCEOはテッド・マイゼルという、もともとは投資家出身の人でした。テッドは、Googleがサービスを開始した頃に、「これはすぐに会いにいかなければならない!」と直感してGoogleオフィスを訪問し、Overtureの検索連動型広告の技術を使ってもらうように提案したそうです。提案を終えてオフィスに帰ってくると、社員に「門前払いだった。すごい厳しい競争が待ってると思う」と報告したそうです。実際、その通りになりましたね。

日本におけるOvertureは、2001年から丸紅出身の鈴木茂人社長を筆頭に数名で大手町のレンタルオフィスでサービス開始の準備をしていました。僕自身は2002年の9月にOvertureの日本法人に入社しました。サービス開始3ヶ月前のことで、その時の日本法人の社員数は20名ほどでした。

佐藤:AdWordsの担当が僕とサポート担当数名体制だったことを考えると、この時点でOvertureとGoogleでは随分差がありました。

Overture CEOのテッド・マイゼル(左)と日本法人社長の鈴木茂人氏

出典:Internet Watch 「キーワードの値段は市場が決める~Overtureインタビュー」(2002年7月2日付け)

杉原:入社して比較的間もない頃に、日本広告主協会(現日本アドバタイザーズ協会)の会合に行くと、Intel時代に面識のあった佐藤さんをお見かけしました。「あ! 佐藤さん、お久しぶりです!」といった感じで声をかけて名刺交換をすると、お互いの名刺を見て「あ、まじ?」「競合ですね」というドラマのような再会になりました。

米国ですでに熾烈な競争を繰り広げていたOvertureとGoogle

杉原:下の画像は、GoTo.com時代に取得した検索連動型広告の特許です。よく見ると、それぞれの広告文に括弧書きで「Cost to advertiser: $0.08」という価格が書いてあって、オークション形式で入札価格が高い順に掲載順位が決まっていることが確認できます。

GoTo.com時代に取得してOvertureが引き継いだ検索連動型広告の特許

出典:特許情報プラットフォームJ-PlatPat WO-A1-00/073960

杉原:米国では、AOL、MSN、Yahoo!などのポータルサイトにOvertureが採用されていて、インターネット・バブル崩壊後の逆境の中、着実に成長を続けていました。しかし、2002年5月、その流れが大きく変わりました。AOLが検索エンジン、検索連動型広告のシステムの両方にGoogleを採用したからです。当時のAOLは、AOL=インターネットと言っても過言ではない存在で、米国でもっともトラフィックの多いポータルサイトのうちのひとつだったので、AOLとの提携が解消されることはOvertureにとっては大きな痛手でした。こうした背景もあり、Overtureは2002年4月に特許侵害でGoogleを提訴することになりました。

出典:Internet Watch「検索サービスの米Overtureが特許侵害でGoogleを提訴」https://internet.watch.impress.co.jp/www/article/2002/0408/over.htm

佐藤さんや僕が日本でサービスの開始に向けて準備を進めている間に、太平洋の向こう側ではOverture vs Googleの熾烈な競争がすでに始まっていたんですね。そして、この競争は日本にも飛び火しました。杓谷:AOLを巡る米国でのOvertureとGoogleの競争の様子は、『Google誕生 —ガレージで生まれたサーチ・モンスター』でも描かれています。

Amazon

https://www.amazon.co.jp/dp/4872576446

2002年12月、Overture が日本で本格的にサービスを開始

杉原:2002年12月、Overtureのサービス開始を大々的にアナウンスしたのですが、この時点でのOvertureの提携先は、MSN、goo、Lycos Japan、Infoseek Japanでした。Yahoo! JAPAN以外の主要どころは全部押さえたという印象で、華々しい船出だったと思います。

Overture日本法人社長の鈴木茂人さん(中央)と、提携先の各ポータルサイトの責任者達

出典:Internet Watch「オーバーチュア、日本での本格展開を開始」(2002年12月4日付け)

Infoseek Japanの検索結果に表示されたOvertureの検索連動型広告。説明文の行数、文字数などのフォーマットはサイトごとに異なっていた。

出典:Internet Watch「メジャーサイトへの最も安価な広告手法~オーバーチュア 鈴木社長に聞く」(2002年12月7日付け)

杉原:当時のOverture社内の感覚では、日本の検索エンジンのシェアはYahoo! JAPANが60%ほどで、残り40%をMSN(Overtureを採用)とGoogle(AdWords)が20%ずつ分け合うといった構図でした。つまり、Yahoo! JAPAN以外の検索シェアではOvertureとGoogleはほぼ五分五分だったと思います。

佐藤:Yahoo! JAPANをOvertureとGoogleのどちらが取るかで日本の検索連動型広告市場を制する会社が決まるというわけです。Googleは9月、Overtureは12月にサービス開始のアナウンスをしましたが、この時点では両社ともYahoo! JAPANとはディールを交渉している最中だったんです。ここからYahoo! JAPANを巡るOvertureとGoogleの熾烈な争いが始まります。

第22話に続きます。

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杓谷 匠

株式会社杓谷技術研究所 代表取締役。2008年に営業職の新卒一期生としてグーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。以降、広告主、代理店、広告プラットフォームなど様々な立場で15年以上Google広告の営業、運用、コンサルティング業務に携わる。2019年にGoogleからの紹介を受け、Google Marketing Platform の大手リセラーとして知られる英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画した後、2023年より現職。『いちばんやさしい"はじめての"Google広告の教本』の著者の一人。

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