杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第20話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。
前回の記事はこちらです。
杓谷:Googleの「プレミアム・スポンサーシップ広告」(以下「プレミアム広告」)は、テキストとバナーという違いこそありますが、インプレッション保証型の広告で、1990年代の一般的な広告商品の販売形態を踏襲していますね。広告枠を1つから2つに増やすことが当時は常識破りだったのは現代の感覚からすると、とても意外でした。
佐藤:日本における「プレミアム広告」の営業体制を整えてしばらくたった頃、日本の営業成績を本社に報告に行く機会がありました。
日本の状況に興味津々のGoogle経営陣
佐藤:当時CEOを務めていたエリック・シュミットや、セールスのトップのオーミッド・コーデスタニなど、主立った重役がいる前で僕が日本の状況について説明をすることになりました。みんな「日本の状況はどうなんだ」という感じで興味津々だったのですが、「実は美容整形関連のキーワードが人気でこんなに売上があがってます」と説明すると、みんな面白がってしまいました。「そうなの? (彼らにとっては毛深そうには思えない)東洋人も脱毛するのか!?」といった感じで「脱毛」というキーワードがとても売れているという報告に大ウケしていましたね(笑)。

2005年に撮影されたGoogleのCEO(当時)エリック・シュミット
Eric E Schmidt, 2005 (looking left).jpg is under CC BY-SA 2.0

Googleのグローバルのセールスを統括していたオーミッド・コーデスタニ(2005年)
Omid Kordestani Web 2.0 conference 2005.jpg is under CC BY-SA 2.0
杓谷:Googleが最初に設立した海外支社が日本だったわけですから、この時点では北米市場以外からの営業報告は新鮮だったのかもしれませんね。
佐藤:僕は英語はあまり上手い方ではなかったんだけど、詰まってると結構優しくて。Googleの経営陣は「おまえだけがちゃんとマーケットのこと分かってるんだから教えてくれ」っていうスタンスでした。英語どうのこうのじゃなくて「あんたが知ってるアジアだから、それを俺たちは知りたいから」という感じだったので、それは自分にとってはとても転機でした。英語が拙い自分というよりは、マーケットが分かってる自分という方向に軸足を変えたんです。「俺、英語できないけどさ、Japanは分かってるから聞いてよ」っていう風なスタンスで接したら、意外に言葉も出るようになりましたね。
だから、本社から日本に人が来たときには「おう、よく来たな」といった感じで「日本来たんならフグを試す手もあるけど、どう?」とか「カラオケ行きたい?」とか。日本の佐藤っていうほうに舵を切ったんです。みんな若くて好奇心いっぱいなやつがたくさん来るから「ビル・ゲイツが行った寿司屋、行きたい?」とかって言うと興味を持っちゃって(笑)。
そうしたら、米国の西海岸の人達ってそういうのを面白がる人が多いので、楽しんでくれて仲良くなって。結果、仕事もとてもうまくいくみたいなことがたくさんありました。
業種ごとに広告の価格は変更することに
佐藤:この本社への出張を期に、本格的にプレミアム広告の広告枠を1つから2つに増やすことになったわけですが、もうひとつ大きな変化が業種ごとの価格変動制の導入でした。要するに、キーワードの業種によって価格を変えようということです。
アメリカではすでにキーワードの業種によっては価格を変えていて、営業チームが大騒ぎしていました。現在のGoogle広告と違って、広告の差し替えや出稿管理はGoogle社内の人間が手作業で行っていたわけですが、そのチームも大混乱に陥っていました。
プレミアム広告自体はインプレッション保証(表示回数保証)なのですが、出稿した広告の良し悪しはクリック単価で判断をしていました。クリック単価が100円を切ると広告主にとって割安感があったのですが、金融系は50円、旅行系は30円となるように業種単位で値段を変えて販売していました。しかしながら、「海外旅行保険」という検索語句の場合、旅行業種になるのか、金融業種になるのかで値段が大きく変わってしまいます。キーワードによっては判断が難しい曖昧なものがたくさんあり、営業は大混乱してしまいました。
「どのキーワードをどのクライアントにどの位のボリュームを単価いくらで売る」という判断を人間が手動で中央集権的にコントロールしようとしたので、調整ごとがとてつもなく煩雑になってしまった訳です。
杓谷:第10話でメディアレップの仕事の煩雑さを角さんに語っていただきましたが、インターネットが成熟していくにしたがって、人の手で広告の出稿をコントロールする、というコンセプト自体が限界を迎えていたことが見て取れますね。メディアレップ的なやり方が通用しなくなってきた、という意味でこのあたりがやはり時代区分の分岐点と言えるのではないでしょうか。
佐藤:大きな混乱を抱えながらも、広告の単価が高くなっていったことで、Google全体としての売上は右肩上がりで成長していきましたが、さらなる大混乱が訪れました。2002年7月にオークション型の検索連動型広告「Google AdWords」(以下「AdWords」。現在のGoogle広告)が登場したからです。
サラー・カマンガーがリードして開発された「AdWords」
佐藤:AdWordsは、Google創業者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンのスタンフォード大学時代のクラスメートで、サラ・カマンガーというソフトウェアエンジニアが中心となって2000年頃から開発が進められていました。サラ・カマンガーは後にYouTubeのCEOも務めます。日本にも来日して直接AdWordsについての説明を受けた記憶があります。

サラー・カマンガー
出典:Salar Kamangar.jpg is under CC BY-SA 3.0
佐藤:下の画像は、米国で試験中のAdWordsの広告です。広告の下に「Interest」というバーが表示されているのですが、クリック率が高まるとこのバーが右に伸びていきます。今のGoogle広告の「広告の品質」に相当するもので、当時は「品質スコア」と呼んでいました。Googleは、広告もユーザーにとって大事な情報源のひとつであると考えていたので、開発当初からユーザーにとって関連性の高い広告を表示させるように設計していました。


米国で試験中の「Google AdWords」の広告
出典:Internet Watch「アナタもGoogleに広告を出せる!? 『Google AdWords』」(2001年5月2日付け)
佐藤:僕がGoogleに入社してまだ半年も経たない2002年の初頭、本社からAdWordsに関する正式な説明を受けました。
AdWordsは、「プレミアム・スポンサーシップ広告」(以下「プレミアム広告」)と違い、管理画面の中で広告を出稿するキーワードや広告文、広告をクリックした遷移先のURLを設定するセルフサーブ方式で、基本的に今のGoogle広告と同じ方式と考えていただいて構いません。ただし、広告の掲載順位、価格はオークションで決まり、入札価格と「品質スコア」(現「広告の品質」)の掛け算である「広告ランク」の高い順に決まるという仕組みでした。「品質スコア」については今後の連載で詳しく触れていきたいと思います。
また、広告費の支払い方法は、一般的な請求書払いではなく、クレジットカードで支払う方法で、説明を聞いている僕らでさえも「クレジットカード決済なの!?」と驚いてしまいました。当時はインターネットにクレジットカードを登録すること自体がまだ抵抗感があった時代でした。
AdWordsをグローバルに展開していく中で、日本の営業チームにも意見を聞かれたのですが、当時の商習慣としてはメディアレップが販売するバナー広告や、先行するプレミアム広告のように、インプレッション保証型の販売方式に慣れていたので、「日本では上の三枠は固定枠のインプレッション保証で販売しましょう」といったように、今にして思えばまったく的はずれな回答をしていましたね(笑)。
シェリル・サンドバーグがAdWordsを統括
佐藤:米国では、すでに数百人規模の「プレミアム広告」のセールスチームがあって、後にAOL、OathのCEOを務めることになるティム・アームストロングが統括していたのですが、このチームはAdWordsのセールスには関与していませんでした。AdWordsには数十人規模のサポートチームしかいなかったんです。

プレミアム広告を統括していたティム・アームストロング
出典:Tim-Armstrong.jpg is under CC BY-SA 4.0
佐藤:AdWordsが米国で成功を収めると、CEOのエリック・シュミットがシェリル・サンドバーグをGoogleに連れてきて、彼女にAdWordsの統括を一任しました。シェリルは、Googleに入社する前はクリントン政権下のホワイトハウスで働いており、ハーバード大学を首席で卒業するほどの秀才だったようです。後にFacebookのCOOを務めることになります。

2013年の世界経済フォーラムに登壇するシェリル・サンドバーグ
Sheryl Sandberg World Economic Forum 2013.jpg is under CC BY-SA 2.0
佐藤:僕がGoogleの本社を訪問した時に、犬を連れて「あなた達日本から来たの?」と話しかけてくれたのがシェリルでした。その当時はまだジェネラルマネージャーという肩書で、チーム自体は持っていなかったと記憶しています。「私は日本人なら榊原という人を知ってますよ」と言ってきたので、みんな「誰それ?」って思ったのですが、よくよく話を聞くと、1990年代後半に米国との歩調を合わせた為替介入政策で超円高の是正に尽力した「ミスター円」こと榊原英資元財務官のことでした。「え? あのミスター円の?」「そう!」「すげー!」みたいな感じの出会いでしたね。シェリルは、ホワイトハウスでローレンス・サマーズ財務長官の下で働いていた関係で榊原財務官のことをよく知っていたようです。

ローレンス・サマーズ第71代米財務長官
出典:Lawrence Summers 2012.jpg is under CC BY-SA 4.0

榊原英資元財務官
出典:34. ISC-Symposium-Eisuke Sakakibara-HSGN 028-01746.JPG is under CC BY-SA 4.0
営業担当から「こんなもの売れません!」と言われたAdWordsの船出
佐藤:2001年7月、日本のGoogleの検索結果に初めてAdWordsの広告が表示されました。
第19話でお話したとおり、当時のGoogleはインプレッション保証型のプレミアム広告をメインに販売していて、見積もりや請求書の発行などを営業担当が手作業で行っていたのですが、広告枠が1つから2つに増えた既存のプレミアム広告のオペレーションを捌くだけでも手一杯で、おまけに第19話で話したように大手電機メーカーから大目玉を食らっているような状況です。そんな中、AdWordsは検索結果の右側に6つも広告枠が表示されます。しかも、価格はオークションで決まるということで、当時の営業担当は頭を抱えてしまいました。「こんなもの売れません!」と言われてしまって、彼らはAdWordsを営業しないという判断をせざるを得ませんでした。
他に選択肢がなかったので、僕と新たに採用したAdWordsサポート担当マネジャー(元AOLのサポートマネジャー)他数名のサポートで営業体制を組みました。世界でもっとも大きな広告プラットフォームにまで成長したGoogle広告はこんな形でスタートしたんです。下の画像は、AdWordsがサービスを開始した頃に雑誌に特集された記事です。当時のGoogle日本法人のオフィスの様子が映っています。

出典:『月刊ウェブクリエイターズ』2002年12月号(佐藤さん所蔵)
2002年9月、AdWordsのサービスを本格的に開始
佐藤:2002年9月に、グローバルのセールスを統括していたオーミッド・コーデスタニも来日し、AdWordsのサービス開始の記者会見を行いました。Googleの場合、先行するインプレション保証型のプレミアム広告と、セルフサーブ型で価格がオークションで決まるAdWordsの違いを重点的に説明する必要がありました。

記者向けにAdWordsの説明をする佐藤さん
出典:INTERNET Watch 「Google、オークション型広告「アドワーズ広告」を本格開始~落札価格×クリック率で掲載順位が決定」(2002年9月18日付)

左:AdWordsとプレミアム広告のポジショニングの違いを表した図
出典:INTERNET Watch 「Google、オークション型広告「アドワーズ広告」を本格開始
~落札価格×クリック率で掲載順位が決定」(2002年9月18日付)
佐藤:英語版では「Interest」と表示されていたバーは日本では「注目度」という名前になりました。会見で、オーミッドが「クリックレートは、ある意味ユーザーの支持ととれる。ユーザーを一番に考えた場合、ユーザーの支持が少ない広告は順位を落としても仕方ないだろう。ただし、クリックレートが低い場合は、メールで広告文面やキーワードの変更などについてアドバイスを行ない、アフターフォローも行なう」と語ったように、AdWordsは広告掲載のアルゴリズムに最初からユーザーの視点を組み込んでいたのが特徴でした。
この「注目度」は後に「品質スコア」と呼ばれ、現在は「広告の品質」と呼ばれているものです。「品質スコア」については、この連載の中で後ほど詳しく触れていきたいと思います。

右:AdWordsの広告のサンプル。「注目度」というバーが表示されているのが確認できる。
出典:INTERNET Watch 「Google、オークション型広告「アドワーズ広告」を本格開始~落札価格×クリック率で掲載順位が決定」(2002年9月18日付)

出典:INTERNET Watch 「Google、オークション型広告「アドワーズ広告」を本格開始~落札価格×クリック率で掲載順位が決定」(2002年9月18日付)
佐藤:このAdWordsの記者会見の約3ヶ月後の2002年12月、同じく検索連動型広告のサービスを提供するOvertureが日本で記者会見を行い、本格的に日本市場に参入します。日本のインターネット広告市場は、OvertureとGoogleの2社の日本市場参入によって大きく成長し、これまでのインターネット広告の常識を大きく塗り替えていくことになりました。
第21話に続きます。