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インターネット広告創世記

第33話:新時代への号砲 – スティーブ・ジョブズの「iPhone」発表とGoogleによる「DoubleClick」の買収

杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第33話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。

前回の記事はこちらです。

杓谷:前回のお話では、「グレーゾーン金利」の撤廃と「ライブドア事件」の余波で、日広の経営がいよいよ厳しくなり、加藤さんが日広の経営から退く形になりました。GMOが日広を救済する形になり、後の「GMO NIKKO」につながっていくところまでをお話しました。

佐藤:2007年1月、スティーブ・ジョブズがiPhoneを発表しました。また、同年7月にGoogleが米DoubleClickを買収します。この2007年が、インターネット広告における大きな時代の変わり目だったと思います。

加藤:2007年1月9日、Appleのスティーブ・ジョブズがiPhoneを発表しました。初代iPhoneは米国では同年6月に発売されましたが、日本では発売されませんでした。

2007年1月、スティーブ・ジョブズがiPhoneを発表

加藤:iPhoneが日本で最初に発売されたのは翌年の2008年6月のことで、ソフトバンクから発売された「iPhone 3G」が最初でした。

iPhoneを発表するスティーブ・ジョブズ

出典:Steve Jobs presents iPhone.jpg is under CC BY 2.0

【歴史的瞬間】スティーブ・ジョブスの初代iPhoneプレゼン|英語スピーチ

第15話でお話しましたが、日広は2000年からドコモの「iモード」をはじめとする携帯電話のインターネット広告の世界にどっぷりと入り込んでいて、大きな収益源のひとつになっていました。「iモード」などで着メロなどのコンテンツを提供し、キャリア決済できるパートナーのことを「公式CP」(CP = コンテンツプロバイダー)と呼んだのですが、2008年6月に日本でiPhoneが発売されたことをきっかけに、一気に公式CPの広告市場が縮小していきました。

僕は2008年5月に日広を辞めたわけですが、同年6月のiPhone発売、9月のリーマン・ショックの流れを見ると、僕が日広を辞めたのは辞め時だったんだなと思います。時代がまさに「携帯電話」から「スマートフォン」に切り替わるタイミングに、「日広」もGMO傘下の「NIKKO」へと生まれ変わっていったわけです。

2023年に公開された映画『BlackBerry』では、映画の終盤にスティーブ・ジョブズがiPhoneを発表したことで経営状況が激変し、苦境に立たされていく様子が描かれています。日本の携帯電話メーカーや、公式CPが感じた思いはこの映画に登場するBlackBerry創業者達が感じた気持ちと同じだったのではないでしょうか。

BlackBerry – Official Trailer ft. Jay Baruchel & Glenn Howerton | HD | IFC Films

加藤さんが駆け抜けた日広の16年、インターネット広告の12年

杓谷:連載を通じて見てきた加藤さんが駆け抜けたインターネット広告の12年を年表にまとめました。

1992年:
・日広を設立
・成年誌を中心とした雑誌広告の販売事業をスタート
1995年:
・ISP「インターキュー」(現GMO)の広告を『iNTERNET magazine』に掲載。パソコン雑誌の広告に舵を切る
1996年:
・ソフトバンクからYahoo! JAPAN設立の話を聞く
・CCI、DACの第1回メディア説明会に出席
・インターネット広告の販売を開始
1998年:
・バリュークリックの代理店になり、創業間もないサイバーエージェントと競合になる
2000年:
・インターネット・バブル崩壊
・日広JAAA(日本広告業協会)加入
・D2Cの第1回メディア説明会に出席
・携帯電話向けの広告販売を本格的にスタート
2002年:
・Google AdWords、Overture スポンサードサーチの日本市場参入に参戦
2003年:
・Overture推奨認定代理店協会会長に就任
2005年:
・世界最大の広告会社WPPグループ総帥マーティン・ソレル卿と出会い、グループ傘下のオグルヴィと合弁会社を設立
2006年:
・「グレーゾーン金利」撤廃の最高裁判決と「ライブドア事件」の煽りを受けて経営が厳しくなり始める
・「ザイトガイスト ’06」でYouTube買収の瞬間に立ち会う
2007年:
・日広の経営権を手放すことを決意
・スティーブ・ジョブズの「iPhone」発表
2008年:
・日広を退任
成年誌向けの小さな雑誌広告専門の広告代理店から始まった日広が、インターネットの波をうまくつかまえて世界最大の広告会社WPPグループ総帥のマーティン・ソレル卿に出会うまでに至るストーリーは小説家でもなかなか描けないドラマに溢れていると思います。それが、最高裁の判決、東京地検特捜部の強制捜査の余波で窮地に立たされていく様には読んでいるこちらまで胸が痛くなりました。

加藤さんは日広としての16年間、そしてここまでのインターネット広告の12年間をどのように見ていらっしゃいますか?

インターネット広告に起きた3つのインパクト

加藤:これまでの連載を通じて見てきたインターネット広告の歴史の中で、僕は下記の3つのターニングポイントがあったと考えています。

  1. 広告枠を買い占めることができない
  2. ダブルクリックの登場によって「線を引く」ことを譲り渡した
  3. オークションで価格が変動する

①:広告枠を買い占めることができない

加藤:第9話でお話しましたが、Yahoo! JAPANがサービスを開始した1996年4月の約1ヶ月前に、ソフトバンクの孫さんと当時電通の社長だった成田豊さんが会談したと言われています。佐藤さんが第1話でお話してくださった通り、電通をはじめとする大手総合広告代理店は保証会社的な機能を果たすために、テレビ、新聞、ラジオ、雑誌などの広告枠をあらかじめ買い取ってから広告主に仲介するというビジネスモデルで発展してきました。

しかし、インターネットでは広告枠を買い占めることができなかったわけです。仮に広告枠を買い占めることができたとしても、広告枠の数が爆発的に増えていく中で、人の手で中央集権的に管理なんてやりきれるはずがありません。そもそもの仕組みとしてインターネットは物理的に広告枠を買い占めることができないメディアだったわけです。それで孫さんが買い占めはできませんとお答えになり、では合弁で会社を作りましょうということでCCIが設立されたという経緯だったと思います。

この、CCI設立の時点で広告枠を買い占めることができなかった、というのがインターネット広告史におけるファーストインパクトだったと思います。

②:ダブルクリックを採用することで「線を引く」ことを譲り渡した

加藤:テレビCMには「線を引く」という言葉があります。例えば19時から19時半の番組の中で11本のスポット広告の枠があるとします。その11本引ける線をどこに引いてどの広告主に割り当てるかを決められることが大手総合広告代理店の一番重要な価値だったんです。新聞も同じです。中面15段抜けるカラーの広告ページ数は日々限られている。線を引くこと自体はあくまでテレビ局側の作業ですが、広告枠を買い付けているのも、広告主に直接向き合っているのも大手総合広告代理店なので、どの広告主にどの枠を割り当てるかの決定権は実質的に大手総合広告代理店が握っていたと思います。

「線引表」のイメージ図

出典:ナイルのマーケティング相談室「テレビCMの線引きとは?種類とチェックポイントを解説

中小の広告代理店、例えば佐藤さんがいらっしゃった旭通信社や、僕の日広にお願いしても、カラーページの枠とか日付指定の広告とかは買えないわけです。だからこそ、旭通信社はアニメを制作して番組ごと買う、という発想になったわけです。それは要するに、自分たちが番組を制作することができれば、その番組内の「線」は自分たちでコントロールすることができるからです。大手総合広告代理店の枠組みに割り込むには番組を丸ごと買うしかない、という発想になったんだと思います。それは僕が生まれる前後のお話ですけど。

インターネット広告が登場したばかりの頃は、メディアレップが既存の広告業界のビジネスモデルを流用して、人の手で広告の配信を中央集権的に管理していました。なので最初の頃はインターネット広告でも「線を引く」ことが出来ていたんです。それが、CCIやDACがダブルクリック(第14話参照)を採用したことで「線を引く」ことの主導権を譲り渡してしまったのではないかと思います。

最初は、とにかく煩雑だった手作業の広告の出稿管理を便利にしてくれるツール、という程度の位置づけに過ぎなかったと思うのですが、広告枠が増加してくると次第にダブルクリックのアルゴリズムで表示回数やフリークエンシー(1人のユーザーに広告を見せる回数)を自動的にコントロールしてもらうところから抜け出せなくなって、CCIやDACが独自にインターネット広告の「線を引く」ことができなくなってしまったんです。しかも、彼らはそのことにしばらく気がついていなかったと思います。まさに、軒を貸したら母屋を取られた、という状況だったと言えると思います。

僕は、これがセカンドインパクトだったと考えています。

③:オークションで価格が変動する

加藤:サードインパクトは、広告の価格がオークションで変動するという点です。

Googleの「AdWords」、Overtureの「スポンサードサーチ」はともにオークション型の広告で、広告主の入札価格によって広告の価格が変動するという仕組みでした。「線を引くこと」の主導権をダブルクリックに取られた上に、価格まで変わるんですかと。じゃあアドマンの仕事はどこにあるんですかということなんです。

第23話でも触れましたが、そもそも伝統的な広告業界におけるアドマンの価値とは「広告の掲載位置を保証すること」です。接待でも何でもして「僕が命に代えてでも◯月◯日の朝刊のラテ欄下の広告枠を取ります!」と広告主に約束してくるのがアドマンの仕事なんです。

一方で、「AdWords」や「Overture」の広告の掲載位置や価格はオークションで決まります。広告主に「一番に上に出ます」と言っていたのに朝起きたら4番目に出てることは平気で起こり得ます。そんなことが起こったら往時の広告業界の考え方だと補填ものの世界。とらやの羊羹を持参して広告主に謝りに行かなくてはいけません。こうした価値観の中で、何位に出るかわからないような危なっかしい広告を大手総合代理店は売ることができなかったわけです。

日広はまさに新興の広告代理店だったと思うんですけど、我々と同時多発的に始まったサイバーエージェント、オプト、セプテーニ、そして2年ぐらい遅れてアイレップ、アウンコンサルティングがなぜマーケットに存在できたのかというと、この常識のずれを利用してなかば強引に割って入ってきたと言えるのではないでしょうか。

「インターネットはビジネス界に落ちた隕石」

加藤:1999年の秋、当時のソニーCEOである出井伸之さんが「インターネットはビジネス界に落ちた隕石である」とおっしゃり、恐竜を滅ぼした隕石のように、インターネットは既存の産業体系を滅ぼすという認識を示されました。

2008年6月に撮影された元SONY CEO出井伸之さん

Ideiji2.jpg is under CC BY 4.0

(撮影者:伊藤穰一)

1996年から四半世紀の間に、広告代理店の上位100社のランキングの顔ぶれは大きく変わりました。初期のインターネット広告は「ページビュー」という言葉に代表されるように、雑誌のビジネスモデルの延長で考えられていたと思います。僕の日広も最初は雑誌広告専門の広告代理店でした。そのため、1990年代後半のインターネット広告では、雑誌広告系の広告代理店もインターネット広告についていくことができたんです。

それが、Googleの「AdWords」とOvertureの「スポンサードサーチ」の登場で一気に変わりました。価格はオークションで決まり、掲載位置もどこに表示されるかわからない。旧来型の広告代理店はこの変化についていけなかったんですね。まさに、インターネットという大きな隕石が、既存の広告業界を大きく変えてしまったんです。広告業界において出井さんの予言がまさに現実のものになりました。

「広告枠を買い占める」ことも、「線を引くこと」も、「価格を決定する」ことも広告代理店はできなくなってしまった。この3つが、ここまでのインターネット広告の歴史におけるターニングポイントだったと僕は考えています。

ただ、ここまで僕が語ってきたことは、あくまでも、新興広告代理店の日広の立場から見たインターネット広告の視点であることを念の為読者の皆様にことわっておきたいと思います。同じ景色が、大手総合代理店の立場からするとまったく違ったように見えていたと思います。下記の記事を読むとより複眼的に理解が深まると思います。
参考:AERA DIGITAL「電通はいかにしてプラットフォーマーに敗れたか?元電通マンの告白」

2007年4月、Googleが米DoubleClickを約3700億円で買収

佐藤:2007年4月、Googleは米DoubleClickの買収に合意したことを発表しました。DoubleClickの買収価格は31億ドルで、当時のレートに換算すると約3700億円でした。この前年に買収したYouTubeの買収金額が16.5億ドルで約2000億円でしたが、それを遥かに上回る金額で、当時のGoogleの過去最大の企業買収となりました。
参考:「Google to Acquire DoubleClick」(2007年4月)

出典:Internet Watch「GoogleがDoubleClickを31億ドルで買収」(2007年4月16日付け)

この買収の持つ意味は、第二部メディアレップ編(第9話〜第17話)を通じて見てきた伝統的なバナー広告の市場と、第三部検索連動型広告編(第18話~第33話)を通じて見てきた検索連動型広告市場の統合だと言えます。
杓谷:ダブルクリックジャパンの代表(第14話参照)を務め、Overture日本法人代表(第26話参照)として競合のGoogleを見つめてきた株式会社SUIM代表の上野さんは、この買収について次のように述べておられました。

上野:後々のことを考えると、僕はこの3700億円という買収金額は”かなり”安かったと思います。
杓谷:また、この買収発表を受けて米Microsoftがこの買収は「広告の支配をもたらす」という声明を発表していることにぜひご注目いただければと思います。

出典:Internet Watch「GoogleのDoubleClick買収は『広告の支配をもたらす』MSが声明発表」(2007年4月16日付け)

今回の第33話で第3部検索連動型広告編が完結です。次の第34話から第4部スマートフォン編がスタートします。メディアレップ編、検索連動型広告編を通じて見てきたインターネット広告が、スマートフォンの登場、GoogleのDoubleClick買収によってどう変化していくかを中心に、見ていきたいと思います。

最後に、今回の記事で加藤さんの語り部としてのご登場は一区切りがつく形となります。この場を借りて、多くの貴重な証言をご提供いただいたことに深く感謝申し上げます。この連載の最終章で改めて全体を総括していただければと考えております。

第3部検索連動型広告編 完

第34話に続きます。

  • 記事を書いたライター
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杓谷 匠

株式会社杓谷技術研究所 代表取締役。2008年に営業職の新卒一期生としてグーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。以降、広告主、代理店、広告プラットフォームなど様々な立場で15年以上Google広告の営業、運用、コンサルティング業務に携わる。2019年にGoogleからの紹介を受け、Google Marketing Platform の大手リセラーとして知られる英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画した後、2023年より現職。『いちばんやさしい"はじめての"Google広告の教本』の著者の一人。

  1. 第54話(最終話):AIという前例なき時代に必要なのは「教育」ではなく「学び」である

  2. 第53話:インターネット広告の今後の行方はAIに「愛」が実装できるかが鍵に

  3. 第52話:2021年インターネット広告費がマスコミ四媒体(テレビ・新聞・雑誌・ラジオ)の広告費を追い抜く

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