杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第16話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。
前回の記事はこちらです。
杓谷:世界に先駆けて携帯電話のインターネット広告市場が誕生し、携帯電話専門のメディアレップである「キャリアレップ」が登場しました。デスクトップパソコンにおけるインターネット広告と同様に、大手総合代理店の管掌の外で「勝手サイト」を中心に携帯電話のインターネット広告市場が2000年代に成長していきます。
佐藤:日本で携帯電話のインターネット広告市場が盛り上がり始めてきたのと同じ頃、2000年3月にアメリカでインターネット・バブルが崩壊し、Infoseekと僕はその煽りを強く受けることになりました。
加藤:アメリカのインターネット・バブル崩壊直前の日本は、インターネット・バブルがまさに頂点を迎えた頃でした。サイバーエージェントや楽天などの日本のベンチャー企業が続々と上場していきました。
インターネット・バブルが最盛期を迎え、ベンチャー企業が続々と上場
加藤:1999年8月の上場時に1株4,200円、時価総額1,300億円だったインターキュー(現GMOインターネットグループ)の株価は高騰し続け、2000年1月31日になんと株価41,000円をつけています。つまりほんの数日ですが、時価総額が1兆円を超えたんです。
その翌月の2000年2月22日に、六本木のディスコ「ヴェルファーレ」でビットバレーの集会「ビットスタイル」が開かれました。ソフトバンクの孫さんがスイスで行われた世界経済フォーラムの年次総会・ダボス会議から飛行機を3,000万円でチャーターして帰国し、ヘリコプターで会場に駆けつけたという伝説のビットバレーの最後の集会に僕も出席していました。まさにインターネット・バブルの頂点といった様子で、孫さんもまた同時期に学生ベンチャーだった川邊健太郎さん(現LINEヤフー株式会社代表取締役会長)のピー・アイ・エム(P.I.M)をヤフー株式会社と合併する建付で買収するなど、ビットバレーの熱狂を注視していたのです。
その翌月の2000年3月に藤田晋さんのサイバーエージェントが上場、4月に堀江貴文さんのオン・ザ・エッヂ、三木谷浩史さんの楽天が上場しています。
株式会社まぐクリックが設立364日目の最短記録で上場を果たす
加藤:こうした状況の中で僕は、第15話でお話した携帯電話向けのインターネット広告事業を拡大していくのと並行して、「まぐクリック」の設立に深く関わって行きました。
1999年の初夏、ビットバレー1番乗りでJASDAQ店頭公開直前となっていたインターキューの熊谷さんから、1千万部配信に到達するウイークリーまぐまぐ中面の5行広告と、配信するメールマガジン本文中に貼るクリック保証型5行広告を専門に取り扱うまぐまぐ広告の総代理店「まぐクリック」の設立合意を聞かされました。「メール広告の市場はまだまだ伸びる。多くのネット系新興企業が上場する。株式市場は実績よりも成長性を優先する。」という彼の近未来予測には、僕も同感でした。

「まぐクリック」設立に関する記事。記事タイトルの「新会社」が「まぐクリック」。
(出典:1999年9月9日の日本経済新聞の記事。加藤さん所蔵。)
加藤:そんな中での熊谷さんのインターキュー上場の先にある超成長戦略に腹オチしてはいたものの、熊谷さん曰く…「全力で支援するから日広でがんがん広告を売ってほしい」と依願され、さてどうしたものか、と思案しました。たとえ日広が営業の人数を倍に増やしたとしても、売上は倍にならない。広告の商いはそういうものではない。であるならば、急伸しているネット専業広告代理店を上手く使っていくというのはどうだろうか、と考えました。
僕は熊谷さんに「CCI、DACと同じ掛け率70%で卸すメディアレップをもう一つ作り、そこから日広だけでなく、セプテーニ、オプト、サイバーエージェント、更に大手広告主のハウスエージェンシーに代理店マージンを(CCI、DACより5%多い)20%にして卸そう」と提案したのです。
1999年9月、「株式会社まぐクリック」登記とほぼ同時に僕は日広100%子会社の「株式会社メディアレップドットコム」を設立しました。日広から優秀なメンバー5名を異動すると同時に、リョーマ以来の仲間である森輝幸さん(現 GMOメディア代表取締役社長)を社長に迎えました。その後、メディアレップドットコムをブースターにしたまぐクリックの売上は設立当初から目標予算を大きく上回る成長をみせ、新たに孫さんが始めた新興市場ナスダックジャパンにて設立364日目にIPOを果たしました。この史上最短上場記録は、今も破られていません。

2001年2月の株主総会資料に掲載されたまぐクリックの広告商品メニュー(加藤さん所蔵)
加藤:上場時におけるメディアレップドットコムの売上シェアは67%(つまりCCI、DACの売上は30%ほど)にまで及んでいましたが、翌10月、日広は予定通り!?メディアレップドットコムをインターキューに売却することで、まぐクリックは数多のネット専業と直接取引を始めることになりました。
Infoseekを「Go.com」に改称した矢先に……
佐藤:この頃のInfoseek Japanは、第13話でお話した通り、米国でディズニーが米Infoseek本社を買収した影響で、1999年11月からディズニー傘下の株式会社インフォシークとして再スタートしていました。
当時、インターネットに接続できる携帯電話は日本にしかなかったので、Infoseekの携帯電話用ウェブサイトは米国本社でも開発していませんでした。そのため、ディズニーの日本法人と一緒に携帯電話用のウェブサイトの制作に着手していました。
その後、ディズニーはInfoseekを「Go.com」に改称し、自社の保有するコンテンツを活用しながら独自のブランドとして本格的に育てて行こうと考えていました。日本でも米国に合わせてInfoseekからGo.comにサービス名を変更しようかと検討していた矢先、突如として米国のディズニーがGo.comのサービスを停止することを決定しました。
検索連動型広告のサービスをGoogleに先駆けてスタートし、Googleと熾烈な競争を繰り広げることになる「Overture」の前身である「GoTo.com」が、自社のサービスに名前、ロゴ、サービス内容などが似ているということでディズニーを相手取り訴訟を起こしたことが強く影響しました。そして、この時期に米国でインターネット・バブルが弾けます。


左:Infoseekの基盤を利用して作ったディズニーの「Go.com」(2000年2月)
出典:Internet Archive右:2000年12月の「GoTo.com」出典:Internet Archive
2000年3月、米国でインターネット・バブルが崩壊
大内:当時、MicrosoftのMSNも、ディズニー・Infoseekと同様の動きがあり、米国の本社でハリウッドのプロデューサーを招聘し、映画や音楽などのエンターテイメント産業と協業してMSNのコンテンツをリッチにし、ユーザーを囲い込もうという動きになっていました。
大内:そのため、日本支社で独自にコンテンツを作ることが難しくなってきている状況でした。日本支社での自由度が少なくなってきたので、思い切ってMicrosoftを退職し、IBM在籍時代からの旧知でMSNを一緒に運営していた安川洋(現アユダンテ株式会社代表取締役)と一緒に2000年1月に起業をすることにしました。
MSNでの経験をもとに、ポータルサイトレベルのウェブサイトを構築することができるCMS(Contents Management System)を開発して販売する事業を立ち上げ、NTT、KDDI、Japan Times などが購入してくれました。検索エンジンを開発することも検討していたので、日本で資金調達をするよりもアメリカで資金調達をした方がお金が集まるだろうと考え、安川と米国に資金調達をしに行くことになりました。
私達が訪問したのは2000年3月のことだったのですが、なんと米国滞在中にインターネット・バブルが弾けてしまったんです。アポを取っていた投資家も、「それどころじゃない」といった様子で、資金調達は空振りに終わってしまいました。
加藤:米国の煽りを受けて、日本でも同時にインターネットバブルが崩壊します。先程、2000年3月にサイバーエージェントが、翌4月に楽天とオン・ザ・エッヂが上場したとお話しましたが、この1ヶ月の間に株価が大暴落しました。サイバーエージェントはインターネット・バブル崩壊前だったので、225億円という大きな金額の資金調達ができたのですが、翌月のオン・ザ・エッヂは60億円で、上場があと1ヶ月早ければ調達金額はもっと大きかったと思います。光通信が20日連続ストップ安で、7.46兆円あった時価総額が4,200億まで下がりました。ソフトバンクの時価総額も大きく下がりましたね。
第15話で、2000年6月にiモードのキャリアレップ、D2Cの説明会が行われたことをお話しましたが、インターネット・バブル崩壊の煽りをうけてみんな意気消沈していたことをよく覚えています。
楽天によるインフォシーク買収
佐藤:GoTo.comとの訴訟や、インターネット・バブル崩壊の影響もあり、米国本社がサービスを停止するということで、Infoseek Japanとして今後どうしていくべきかを思案していると、楽天の三木谷浩史さんがInfoseek Japanの買収に名乗りを上げました。楽天側の思惑としては、日本国内でYahoo! JAPANに対抗していくポータルサイトを手に入れることと、主力の楽天市場へのトラフィックの拡大を狙ってのことでした。買収が成立した後々の記念パーティーで、「親会社変われどミッキーかわらず」とスピーチしたら、会場の一部で大受けしたのを覚えています(笑)。

Infoseekの買収に関する会見を行う三木谷氏
出典:Finance Watch「楽天がインフォシークを買収~ヤフーと真っ向勝負」(2000年11月30日付け)
2001年4月、ダブルクリックジャパン上場
加藤:この少し後の話になりますが、2001年4月、第14話で登場した米DoubleClickの日本法人ダブルクリックジャパンも上場しています。この連載の運営元であるインプレスも株主の名前に含まれていますね。
| 米DoubleClick | トランスコスモス | NTT東日本 | NTTアド | インプレス |
|---|---|---|---|---|
| 43.23% | 41.23% | 5.55% | 5.55% | 2.44% |
出典:Finance Watch「ダブルクリックなど3社が4月25日ナスダックJに上場へ」(2001年3月)
上野:そもそもなぜ米DoubleClickとトランスコスモスに加えて、NTT東日本、NTTアド、インプレスという資本構成になったかについて解説しておきたいと思います。
上野:ダブルクリックジャパン設立当初のNTTにはマルチビジネス開発局という部署がありまして、インターネットに対する事業を立案したり研究をしていたのですが、このマルチビジネス開発局が中心となって、ダブルクリックジャパン設立時に出資をする形になりました。1999年7月にNTTが分割されてNTT東日本、NTT西日本に分社化され、ダブルクリックジャパンの株はNTT東日本が引き継ぐ形となったので、上場時の株主はNTTではなくNTT東日本になっています。
そこになぜグループ会社のNTTアドが加わっていたかと言いますと、当時NTT法という法律がありまして、NTTは通信事業者なので通信業以外のビジネスをやってはいけなかったんです。第14話でも触れられていますが、ダブルクリックジャパンの主要メディアはNTTグループの「goo」という検索エンジン兼ポータルサイトでしたが、この「goo」のオーナーはNTTアドだったんです。
また、インプレスが3%資本参加するのはダブルクリックジャパンにインプレスのメディアの広告枠を融通してほしかったからだと思います。ものすごく昔の話なんですけど、第8話でも少し触れられていますが、西和彦さん、郡司明郎さん、塚本慶一郎さんの3名がアスキーを設立し、後に郡司さんと塚本さんが袂を分かってインプレスを立ち上げました。
アスキーはMicrosoftのソフトウェアの販売権を持っていたので、古くからコンピューター関連のビジネスに携わっていたトランスコスモスには元アスキーの人たちやMicrosoft出身の方達が何名かいらっしゃったんです。そういった背景でトランスコスモスとインプレス、アスキーは元々関係が深かったのだと思います。トランスコスモスには、Microsoftの日本人1号社員で、面接官がスティーブ・バルマー(米Microsoft本社の前CEO)だったとおっしゃっていた方がいらっしゃいました。Microsoft全体を通しても社員番号は100番台くらいだったと思います。
第17話に続きます。