インターネット広告創世記

第15話:NTTドコモの「iモード」サービス開始と「キャリアレップ」の設立 何としてもJAAAの会員にならねば!

杓谷技研というマーケティング支援会社の代表を務めております杓谷 匠(しゃくや たくみ)と申します。この記事では、アタラ株式会社会長の佐藤康夫さんのご協力のもと、2024年9月5日(木)に連載を開始した「インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く〜」の第15話をお届けします。なお、本連載は、株式会社インプレスが運営するWeb担当者Forumでも同時に公開しています。

前回の記事はこちらです。

杓谷:米国のインターネット・バブルの後押しもあり、バナー広告の配信を支えるテクノロジーもかなり進化してきましたね。DoubleClickの「DART」をはじめとする「アドサーバー」が登場し、「アドネットワーク」が広がっていきました。

佐藤:ちょうどこの頃、NTTドコモが「iモード」のサービスを開始し、世界に先駆けてインターネットに接続できる携帯電話が登場しました。Googleはスマートフォン用のOS「Android」のビジネスモデルに「iモード」を強く意識していたと思います。Infoseekも「iseek」という「iモード」サイトの検索サービスをいち早くリリースしました。携帯電話のインターネット広告については加藤さんが詳しいので、当時の様子を語ってもらおうと思います。

加藤:僕は、1999年1月25日に東京・原宿にあるイベントホール「QUEST HALL」で広末涼子さんが登場したNTTドコモの「iモード」のメディア向け説明会に参加しました。富士通、NEC、三菱電機の3社が作ったインターネットに接続できる携帯電話(フィーチャーフォン)が紹介され、僕も最初のN501(NEC製)を購入しました。

左:「iモード」のメディア向け説明会に登場した広末涼子 – 出典:Internet Watch「NTTドコモが『iモード』の詳細発表、発表会にはヒロスエも登場」(1999年1月25日付け)

右 :富士通 F501i HYPER、三菱 D501i HYPER、NECN501i HYPER – 出典:PC Watch 「NTT DoCoMo、携帯からインターネットにアクセスできる新サービスを開始」(1999年1月25日付け)

急いでJAAA(日本広告業協会)の会員になってください

加藤:この「iモード」は、第9話で紹介した「ハイパーネット」副社長だった夏野剛さん(現KADOKAWA代表取締役)がNTTドコモ(ゲートウェイビジネス部)に転じ、企画開発に深く携わっていました。僕が2000年4月にお会いした際に「NTTドコモと電通で組んで、iモード広告のメディアレップを作ります。CCIとは違い、ドコモが株の過半数を持ちますが社長は電通から迎えます。6月にサービスを開始する予定です」と耳打ちされました。
この株式会社ディーツーコミュニケーションズ(現株式会社D2C。以下D2C)の創業社長にと白羽の矢が立った藤田明久さんは、それまでCCI設立時から電通からの出向取締役として前線に居た、いわば戦友でした。5月になった頃にお呼びがかかり、「加藤さん、急いでJAAA(日本広告業協会)の会員になってください。iモードのトップページ『iMenu』にもう一つ新たにメニューを追加して、広告を掲載するページを作ります。その広告が取り扱えるのはJAAAの会員だけにしようと考えています」と伝えられました。

当時、JAAAの会員になるためには、5社の既存会員からの推薦をもらって最終的に理事会で面談を受けないといけなかったんです。後に3社に緩和されるのですが、当時はかなり条件が厳しかった。僕は急いでコンタクトを取って5社から推薦をもらい、無事に入会することができました。

下の画像は、2000年6月29日付けでD2Cが代理店向け説明会で配布したiモード広告の媒体資料です。

D2Cが配布したiモード広告の媒体資料。「Ver.1」の文字が見られる。

(出典:2000年6月29日付けのD2Cのiモード広告媒体資料。加藤さん所蔵。)

「とくするメニュー」の名前が「キャンペーン情報(仮称)」になっているのが確認できる。

(出典:2000年6月29日付けのD2Cのiモード広告媒体資料。加藤さん所蔵。)

iモード広告のサンプルイメージ

(出典:2000年6月29日付けのD2Cのiモード広告媒体資料。加藤さん所蔵。)

加藤:藤田さんに伝えられたこの新しい広告専門のメニューは、説明会の時点では「キャンペーン情報(仮称)」として紹介されていましたが、後に「とくするメニュー」という名称で一般に公開されました。

iMenuに掲載された「とくするメニュー」。クリックした先のページでテキスト形式の広告が表示された。

出典:ITmedia Mobile「iモード広告のビジネスモデルは成立するのか – Wireless Conference 2001」(2001年7月18日付け)

乱立するハウスエージェンシーと、蚊帳の外に置かれたインターネット専業広告代理店

加藤:なぜ、D2Cがこうしたルールを設けたかというと、1998年〜2000年のインターネット広告業界には自称広告代理店が無数に出来たことが一因だったと思います。

大手の広告代理店もまだ本格的にインターネット広告に取り組む前でもあり、積極的な広告主は自社の広告の制作会社などを「広告代理店」(ハウスエージェンシー)としてCCI、DACと次々に取引をしていきました。それを電通は苦々しく思っていたんでしょう。大手広告主がハウスエージェンシーを通じて直接広告枠を購入できてしまうと、広告代理店の存在価値が希薄化してしまう懸念があったんです。こうした広告代理店の乱立を、iモードでは一度整理し直そうとしてiMenuの広告枠の取り扱いはJAAAの会員しか取り扱えないという条件を設けたのだと思います。この条件の煽りを受けたのが、サイバーエージェント、オプト、セプテーニなどの日広以外のインターネット専業広告代理店です。当時彼らはクリック保証型広告の積極的販売や、比較サイトなどの自社メディアを運営していて大手総合広告代理店陣営から好かれてはいなかったので、JAAAの会員には成りづらかったんです。D2Cの説明会を聞いて彼らはひっくり返ったと思いますよ。かたや日広は第8話でお話した通り元々雑誌広告を販売していたので、神保町、小川町に集中していた「まわし」代理店の諸先輩方を一社一社回って推薦状を書いてもらい、会員になることができたんです。(※「まわし」は、特定の広告枠に対する取引口座を持っている広告代理店が、取引口座を持っていない広告代理店に広告枠を融通すること。第7話、第8話参照)

その結果、iモードが登場してから最初の3年間はモバイルの公式サイトの広告は、日広が最右翼で活躍できました。この状況で僕が何を考えたかというと、5%だけ抜いてオプト、セプテーニなどに「まわし」ました。

iモードの「公式コンテンツ」と「コンテンツプロバイダー」

加藤:iモードで痛快だったのが「公式コンテンツ」ですね。iモードはコンテンツ利用料が課金できて、代金回収をNTTドコモがやってくれる。これはかつてのダイヤルQ²のビジネスモデルと完全一致でした。もちろんNTTドコモのゲートウェイビジネス部もダイヤルQ²往時の成功と失敗を十分に研究した上での再挑戦です。

iモードはNTTドコモが運営していたのですが、天気予報やモバイルバンキングなど公共性の高いサービスは無料でユーザーに提供できるように充実させていく一方で、初期の頃から価値ある優良かつ有料なコンテンツを集めることを目標にしました。

公式コンテンツのサービス事業者のことを「コンテンツプロバイダー」(以下、英語の頭文字を取って「CP」)と呼んだのですが、有料コンテンツを提供するCPの開拓も並行して進めていたんですね。グルメ情報や、タレントの声、明日の波の高さなどの情報を1ヶ月300円という上限金額で課金コンテンツとして販売する体制を整備しました。

iモードの公式コンテンツの事業開始時のCP一覧

出典:Internet Watch「NTTドコモ、携帯電話単体で利用できるネットワークサービス『iモード』発表」

公式CPのモバイルタウンページに表示されるiモード広告の媒体資料

(出典:2000年6月29日付けiモード広告媒体資料。加藤さん所蔵)

加藤:この初期のiモード「公式コンテンツ」の課金CPは、カジュアルゲームや占いなどで成功していた「Cybird」「index」が双璧で、僕の旧知の方が経営されてました。つまり両社含め右に倣えで「公式コンテンツ」のCPがiモードの広告枠を買ってくれるはずだと直感しました。iMenuのメニュー表に課金コンテンツを出してるCPが全て日広のクライアントになる可能性があったわけです。しかもJAAAの会員じゃないとD2Cから広告枠を仕入れられない。

そこで日広は、当時「光通信」の孫会社の社長だった本間広宣さんを取締役としてお迎えし、モバイル専門営業部を作りました。そしてiMenuで有料コンテンツ提供しているCPを片っ端から訪問し、こういう広告が始まるので出稿してくださいと廻りました。

株主たる電通が狙う「とくするメニュー」の想定需要はナショナルクライアント(主にテレビ媒体の広告主)の販促支援用途。いっぽうCPの運営法人はほぼ全て新進かつ小規模。しかもまだiモードにおけるビジネスモデルも始まったばかりで確立してなかった。D2Cもそれをわかっていて、「大手総合広告代理店は積極的に売るだけの動機がないと思うので、思いっきりやってください」と言われていました。おそらく、最初からこうなることを見越して僕に声をかけてくれたのだと思います。

「A1(エイワン)アドネット」と「Jモバイルコミュニケーションズ」の設立

加藤:前後して、携帯ブランドをauに変更した合併新体制のKDDIも「EZWeb」の名称でiモードと同様のサービスを始めていました。半年後の2000年12月、KDDIが51%、ほか博報堂、ADK(旭通信社が経営統合して改称)、DACなどが出資して「A1(エイワン)アドネット」(現mediba)という会社を設立しました。「EZweb」専門のメディアレップです。デスクトップのパソコンの世界で電通が「CCI」、博報堂・ADK系が「DAC」を作ったように、携帯電話の世界でも電通グループの「D2C」、博報堂・ADK系の「A1アドネット」が出来ていったんですね。


出典:日経コミュニケーション「KDDIと博報堂など5社,EZweb向け広告事業会社を設立」(2000年12月07日付け)https://xtech.nikkei.com/it/free/NCC/NEWS/20001207/3/

「A1アドネット」の広告枠の買い付けはJAAAの会員かどうかは関係なかったので、セプテーニやオプトも取引口座を開こうと思えばすぐにできたと思うのですが、先行して日広がCPに張り付いて営業していたのでだ対CP営業の域は独壇場と言っていい状況でした。続いて、J-PHONE(後のボーダフォン→ソフトバンクの源流)が電通と組んで、「ジャパン・モバイル・コミュニケーションズ」(以下Jモバイル)というメディアレップを作りました。こうした、携帯電話会社専門のメディアレップのことを「キャリアレップ」と呼びました。

日広は2000〜2003年ぐらいは大市場となる着メロ、ゲーム、写真アプリなど公式コンテンツの世界で食べてましたね。大きなサンクチュアリでした。

「公式コンテンツ」と同等以上に成長した「勝手サイト」の広告市場

加藤:NTTドコモが決済をする「公式コンテンツ」が盛り上がっていく一方で、「勝手サイト」と呼ばれるサービスも登場してきました。この「勝手サイト」は同じCPではあるのですが、課金回収代行を経ず、ユーザーが銀行振込などでサービス利用料を回収します。携帯電話キャリアを通さずにある意味で”勝手に”ビジネスを展開しているということで、「勝手サイト」というわけです。

僕は、第8話でお話した通り、雑誌広告の時代からのお取引先として男女のマッチングサービスの事業者ともお取引があったのですが、インターネット接続できる携帯の世界でも大きな広告予算がある事業者の多くがマッチング運営者でした。つまり、1995年頃まで一生懸命雑誌広告をご案内していたお得意先とその系譜の方が大半だったのです。その頃まではツーショットといわれてたのが、出会い系という呼称に変わっていきました。

やがて、デスクトップPCと同じように、携帯電話のインターネット広告もアドネットワーク化が進んでいきました。キャリアレップの広告もこれまで通り売ったんですが、結局「魔法のiらんど」「スタービーチ」など掲示板系の勝手サイトがたくさん登場して広告ビジネスとしても「勝手サイト」が大きくなっていったんです。

2000年4月の「魔法のiらんど」(デスクトップPCで表示)

出典:Internet Archive

加藤:最終的にはデスクトップPCのようにジャンル別で配信ができるようになっていきました。そして、その枠に積極的に広告出稿したのが消費者金融業、次いで出会い系の事業者だったんです。日広は「公式コンテンツ」だけでなく「勝手サイト」の世界でもアドバンテージがありました。

Google創業者も注目した日本の携帯電話

佐藤:Googleを創業したばかりで当時20代だったラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンが来日したのもこの頃だったと思います。後にGoogle日本法人の1号社員になる方がラリーとサーゲイを秋葉原に連れていき、インターネットに接続された携帯電話を見せると夢中になってしまい、その後に予定されていたミーティングにまったく集中しなかったという逸話があります。今振り返ると、海外支社設立の1社目が日本だった理由は、このインターネットに接続された携帯電話の影響だったかもしれません。

第16話に続きます。

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杓谷 匠

株式会社杓谷技術研究所 代表取締役。2008年に営業職の新卒一期生としてグーグル株式会社(現グーグル合同会社)に入社。以降、広告主、代理店、広告プラットフォームなど様々な立場で15年以上Google広告の営業、運用、コンサルティング業務に携わる。2019年にGoogleからの紹介を受け、Google Marketing Platform の大手リセラーとして知られる英国の広告代理店Jellyfishの日本法人立ち上げに参画した後、2023年より現職。『いちばんやさしい"はじめての"Google広告の教本』の著者の一人。

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